第9話 母の遺言とコロナ禍
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なぜ私が「逆境は好運の始まり」を書いたのか
第9話 母の遺言とコロナ禍
私は仕事の合間をみて、
遠く離れて一人で暮らす母の介護に
片道三時間かけて通っていました。
一緒に食事をし、
時には温泉旅行にも出かけました。
そんな日々の中で、
忘れられない出来事がありました。
母と二人でテレビを見ていた時のことです。
ニュースで小学生の女の子が
行方不明になったという
報道が流れました。
以前の母なら、すぐにテレビを消したり、
別の話を始めたりして、その話題から私を
遠ざけていました。
けれど、その日の母は違いました。
ニュースを見ながら、
静かにこう言ったのです。
「かわいそうにね。」
「きっと見つかるわよ。」
「大丈夫。」
そう言って、私の方を見て
微笑みました。
私は胸が熱くなりました。
その時、私はふと思いました。
「ああ、
母は神様や仏様から
お慈悲をいただいたのかも
しれない。」
神道や仏教には、
辛い経験をした人の記憶を和らげるという
慈悲を与えてくださる、
そんな考え方があります。
家族と私は、申し合わせたように、
私が幼い頃に遭ったあの誘拐事件について
一度も話したことがありませんでした。
母がその事件をどう思っていたのか、
私は聞いたことがありません。
私にその記憶が残っていることを
母が知っていたのかどうかも分かりません。
けれど、今振り返ると、母はずっと私を
気遣ってくれていたのではないか。
そんな気がします。
行方不明のニュースを見ることで、
私に辛い記憶を思い出させてはいけない。
そんな親心があったのではないかと
私は思っています。
時は流れて、
少しずつ衰弱していく母を
一人にはできないと思い、
施設へ入ってもらうことにしました。
その後、
新型コロナがはやり始まりました。
さらに、
後になって知ったことがあります。
母が入所していた施設で、
大きな事件が起きていたのです。
詳しくはここでは申しませんが、
その知らせを聞いた時、
ショックを受けました。
今振り返ると、
母もまた守られていたのかも
しれないと思いました。
その後、
母は施設から病院へ入院することに
なりました。
当時は感染予防のため、
面会は許されませんでした。
母に会いたくても会えない。
そんな日々が続きました。
そして、
母は誰にも会えないまま
静かに息を引き取りました。
私は、母が亡くなる数日前から
高熱が出ていました。
当時は、発熱がある人は外出や
人との接触を控えるよう求められて
いました。
本当なら、這ってでも母のもとへ
駆けつけたかった。けれど、
家族からは
「コロナかもしれないから
来ないでほしい」
と言われました。
あの頃は、
それが当たり前とされた
時代でした。
母は生前、
こう話していました。
「私(母)が死んだら、
瑤盛(ようせい)に葬儀の
導師をしてもらいたい。」
それが母の願いでした。
そして、私は
葬儀の導師を務めることも
叶いませんでした。
このことで母を想う気持ちがより一層
強くなりました。
葬儀に出られないという
辛くて悲しい経験が、
後に私の人生を
大きく変えることになったのです。
次回へ続く。
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「逆境は好運の始まり」369Hz
https://youtu.be/S-oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri
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堀越 瑤盛(ほりこし ようせい)
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