なぜ、暴力からは何も得られない
アメリカで白人警察官に拘束された黒人男性、ジョージ・フロイドさんが死亡した事件。
弟の テレンス・フロイドさんがデモを続ける人々に訴えたこと。
「暴力はナシだ」
破壊的活動は「ただ酔ったときの憂さ晴らししてるだけだ」
「暴力では何も変えられない」
「別の方法でやろうぜ」
差別意識を持つ人たちは変えられない
むしろ破壊的デモを利用している
破壊的意識を持つ人は、デモが拡大化しても静観するだけ、破壊活動しても彼らは痛くも痒くもない。
被害は殆ど保険で賄える。
もし、これ以上破壊的デモが拡大すると・・・
(治安当局は、破壊的活動に対し軍や警察を派遣する)
(差別が原因でも、手段を間違えると、何も変えられない)
(この問題が、差別を起因とした破壊的なデモ行為だったとなり、多くの賛同を得られない)
だから、
「我々は学ぶんだ」「この状況を変えれる手段を」
「これを変えてくれる人を探すんだ」
「勉強して、他のやり方を考える、投票しよう」
【暴力をやめて投票を 弟の訴え】ノーカット版
これって、日本にも言えるような気がします。
一部でしか報道はされませんが、
辺野古で働いている方への暴力的な行為やデモ、
ヘイトが嫌だと言って暴力的なデモやSNS個人攻撃、
各地で増加する自粛警察の暴力行為、
政治家や有名人への罵詈雑言がこれほど多い国はあるのでしょうか。
政治家も皆が選んだ人ですし、有名人もキャラで演じるのが仕事ですし・・・
これもある意味、同じじゃないかなと思います。