『比較』を突き詰めた結果
絶対的な比較なんてできません
こんにちは!
スプラウト阪神の岡本です。
今日もよろしくお願いいたします。
今日のテーマは『比較を突き詰めた末路』
先日、たまたまTVで朝の報道番組『羽鳥慎一モーニングショー』を見ました。
まあ、朝バタバタしながらなのでじっくり見たわけではなく、音声だけ聞いていたような状態でしたが(笑)
話題の一つが『小学生の子供に美容整形手術を受ける人が増えている』というお話。
これは日本でのお話。
もう一つ気になった話題は『日本の出生率は1.3台で少子化が進む傾向だが、お隣の韓国では出生率が0.7台しかない。いったい何が起こっているのか?』というお話。
番組では『小学生の美容整形』の動機として『SNSで容姿を加工した人物と自分を比較して劣等感を感じること』と結論付けていました。
『韓国の出生率』についても、『いい学校(この場合のいい学校とは日本で言えば、合格者の偏差値が高い学校ということのようです)に入って、社会人になってからも塾に通い、常に競争に勝たなければという強迫観念をみんなが持った結果、絶望感を感じ子供を産まない選択をする人が増えた。』というような結論でした。
この二つってメカニズムは同じ話だなと思いました。
要は『比較を突き詰めた結果』
ここでは『美容整形手術』や『競争社会』そのもののが良いとか悪いとは言いませんが、一つの『今までになかった異常現象』として捉えてみます。
『加工した画像の他人と、実際の自分の比較』
『競争に勝ち続けた人と挫折した人の比較』
『比較』って便利なものだとは思うんですよ。
小学校でも『比と比の値』って教えてますしね。
ただ、どんな便利なものでも要は『使いどころ』
結婚相談所のような婚活サービスにおいて、この『比較』は切っても切れないものだと思います。
『写真で見る容姿』
『身長、体重』
『年収』
などなど。
婚活サービスの多くは。この『比較をしてください』と言わんがばかりに情報が並んでいる。
そりゃね。
一日に数百件もお見合い申し込みが届いたりすれば、時間的に全員に合うことは難しいでしょうから、どうしたって『比較』します。
『比較』を全否定したら婚活は、一歩も動けなくなります。
くどいようですが要は『使いどころ』
『同じ商品を買うなら、比較して一番安いお店で買いたい』
まあ普通によくある心理ですよね。
これなら『同じ商品』ということで比較対照するものが固定されていますから何の問題もないと思うんです。
婚活で比較されがちなのは『人間』
二人として全く同じ人がいない『人間』
その人の『年収』とか『身長』とかという『一部の特徴のみ』を切り取ってでしか『比較』なんてできない。
なのに、その比較をしているうちに『比較した結果が全て』みたいになってしまったり。
あるいは『比較して算出した上位の人とうまくいかなかったら、第二希望軍の人を低く見てしまったり』
こんなお話はよく聞きますよね。
そもそも人間相手に『絶対的な比較』なんてできるはずがない。
『一部を切り取った比較』しかできない。
そんな当たり前のことに気づかず、自分の比較で自分を苦しめてしまう。
『持って生まれた自分の容姿が受け入れられない。』
『生きることに希望が見いだせず、次の世代を残すことを諦める。』
『比較した結果、下位群の人と結婚しても意味がない』と『意味を見出すこと』を諦める。
なんとなく似たものを感じますね。
ここでは『美容整形』や『競争社会』『比較による婚活』、あるいは『比較そのもの』を否定する意図は全くありません。
ただ、その末路にありがちなことを考えると寂しい気持ちになるな。
ただそれだけ。
読んでいただいた皆さんはどうお考えですか?
婚活に悩んでいる方。
そんなお話をしに来ていただけたら・・・・・。
うれしいと思います。