「愛されたい」は「愛したい」の裏返し
目次
- 「愛されい」は「愛したい」なんじゃないだろうか?
- 人の衝動は「愛されたい」よりも「愛したい」方が強いのでは
「愛されい」は「愛したい」なんじゃないだろうか?
「愛情を注がれることはすごく幸せなことだけれど、愛情を注ぐあてがあることはもっと遥かに幸せなこと」
先日2019年の「本屋大賞」が発表されました。
(本屋大賞とは、書店員さんが選ぶ、みんなに読んでもらいたい本の大賞です)
今年は瀬尾まい子さんの「そしてバトンは渡された」という小説です。
(私も読んでみよ!)
その本も、瀬尾まい子さんも存じ上げないのですが、瀬尾さんが会見で仰っていた言葉がすごく印象的だったのです。
この本のストーリーは親がコロコロ変わる女の子の話だそうですが、親がコロコロ変わりながらも、その親との愛情や人間関係を築いていく話だそうです。
そのストーリーがあっての発言だと思いますが。
「愛情を注がれることはすごく幸せなことだけれど、愛情を注ぐあてがあることはもっと遥かに幸せなこと」
その通りじゃないでしょうか?
婚活を見させていただいていると「愛されたい、愛されたい」と言っているようで、実は「愛したい」と思っているのではないかな?と感じる時が多々あります。
相手が向き合ってくれない
連絡をくれない
時間を作ってくれない
などは「愛してくれない」と言っているようですが「愛させてくれない」と聞こえます。
何かに不満があるということは、こちらはもっと愛情を注ぎたいのに、相手が注いでくれないから、注げなくて悲しい。
と聞こえたりもします。
相手を必要以上に選別する人は、自分の大きな愛情を注ぐ価値のある存在を探している気がします。
人の衝動は「愛されたい」よりも「愛したい」方が強いのでは
「愛されたい」のは「愛してもいい許可」が欲しいから。
本当は愛することに許可なんていらないし、愛を出し惜しみする必要はないのですが。
家族がいると言うことは、婚活中の皆さんにとっては、
パートナーや子供から愛情を注がれて、安心できる場所がある
と思うかもしれませんが、
実際は、愛情を注ぐ存在がいる、そのことがとても幸せなこと
なのだと思います。
キンキキッズも言っていた。
「愛されるよりも、愛したいマジで~~~」(笑)