第1話「結婚は、先送りにできない」
「高橋、お前、英語いけたよな?」
打ち合わせ終わりの会議室で、課長が何気なく放った一言に、翔は一瞬だけ言葉に詰まった。
わかっていた。いつか来ると思っていた話だ。
社内では、アジア圏での駐在要員の再編が始まっていて、次は自分かもしれないという空気はあった。
「はい、一応…」
「じゃあ、シンガポール支社、候補に入れておくぞ。来期な。すぐじゃないけど、準備だけしといてくれ」
返事はした。
だがその帰り道、翔の頭をよぎったのは、仕事の段取りよりも――自分の人生だった。 ⸻
■名前:高橋翔(たかはし・しょう)/33歳 大手総合商社勤務。誠実な性格と仕事ぶりで信頼を得るキャリア系男子。 スポーツ経験で培った根気と体力を武器に、世界を舞台に戦ってきた。 ただ、その忙しさと責任感の強さゆえ、恋愛や結婚は“いつか”のまま、後回しになっていた。
「結婚、そろそろ考えなきゃな」と思いながらも、 「今は忙しい」「今じゃない」「いい人がいれば」と言い訳を重ね、気づけば33歳。
マッチングアプリも何度か試したが、「海外転勤あるかも」と伝えると、あからさまにリアクションが鈍ることも多かった。
彼女がいた時期もあったが、結婚まではいかなかった。
どこかで、自分の未来を“ひとり前提”で考えていたのかもしれない。
だが、さっきのひと言で確信した。
「このままじゃ、人生がひとりで進んでいってしまう」と。 ⸻
結婚相談所での活動という選択
その夜、翔はふと思い出した。
以前、取引先の先輩が言っていた。
「うちは結婚相談所で出会ったよ。堅い印象あるけど、本気で結婚したいなら悪くない。特に男にはいいと思う。変な駆け引きもないし」
半信半疑で、「名古屋 結婚相談所 海外」などと検索しているうちに、 目に留まったサイトがあった。
「ブライダルサロンbouquet」――。
清潔感あるデザインに、「IBJ AWARD 8期連続受賞」や「海外転勤もご相談ください」の文字が並んでいた。
(海外転勤…対応してるのか?)
プロフィール欄を見ると、カウンセラーは「佐藤香織」という女性。
「海外駐在経験あり」と書かれている。
「……話、聞いてみるだけ聞いてみるか」 申し込みフォームに必要事項を打ち込み、送信ボタンを押した。
まるで仕事のメールを送るように、淡々と。
だがその時、翔の中には確かに、小さな期待が灯っていた。 ⸻
静かに始まる「本気の婚活」
数日後、ブライダルサロンbouquetのカウンセリングルームを訪れた翔は、白を基調にした静かな空間に迎えられた。
まるで友人の家に招待されたかのような心地よさがあった。
「高橋翔さんですね。お越しいただきありがとうございます。カウンセラーの佐藤香織です。」
優しく、落ち着いた声だった。
パソコンのあるテーブルへ案内してくれた佐藤は、上品で聡明な印象を与える女性だった。
「さっそくですが、今日は今のご状況や、理想の結婚についてざっくばらんにお話をうかがえればと思います。緊張しなくて大丈夫ですよ。」
そう言われて、翔は少しだけ笑った。
意外と、自分はこういう場所を求めていたのかもしれない、とふと思った。
「実は、来期から海外赴任の打診があって…。それをきっかけに、真剣に結婚を考えるようになったんです」
佐藤は、少しも驚かずに頷いた。
「そうでしたか。実は、海外勤務を控えた男性のご相談はとても多いんです。将来が動きやすい立場だからこそ、“今”の選択が大事になるんですよね。」
翔はその言葉に、すっと心がほぐれるのを感じた。
「アプリでは、海外転勤があると言うと引かれてしまって…。でも、やっぱり理解ある方と出会いたい。」
「そのお気持ち、すごくよくわかります。ですので、ブライダルサロンbouquetでは、条件や見た目だけじゃなく、**“将来に共感できる相手”**との出会いを大切にしています。」
画面に映されたのは、「IBJ」日本全国の会員データベース。
そこには、数えきれないほどのプロフィールが並んでいた。
「この中から、私が“本当に合う方”をご一緒に探します。時間をかけて、丁寧に。 でもまずは、翔さんがどんな人生を送りたいのか――そこから、ぜひ聞かせてください。」
翔は少し息を吐き、正面の佐藤を見た。
「……自分の将来に、誰かをちゃんと迎え入れるのって、怖いですけど。でも、もうひとりで進むのは嫌なんです。」
「その想いが、婚活の一番の原動力です。」
佐藤は、そう微笑んだ。
この日、翔の“本気の婚活”が静かに始まった。
(第1話・了)