【RSK】…母親がくれた名前…私はずっと大切にしたい。
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目次
- 昨日は法人設立記念日…個人でもTwitterはじめました
- 【表彰】…IBJ Award 4期連続・成婚TOP30等
- 『楽しい婚活』をしながら『幸せな結婚』を叶えましょう!
- 『コロナ対策』を徹底・『オンライン相談』も受付中です!
- 『安心・安全な結婚相談所の証』…【マル適マーク】を取得。
昨日は法人設立記念日…個人でもTwitterはじめました
昨日2月17日は『株式会社RSK』の設立記念日でした。
ちなみにRSKは『良縁サポート 和』の頭文字です。
数年前に開業することを決意した時。
相談所名を決める際には私もかなり考えました。
何個も何個も候補が上がりました。
その中で私が『良縁サポート 和』という相談所名に決めた理由は母親でした。
当時、私の母親はガンで闘病中でした。
前の会社を辞めること。
相談所を開業すること。
当時、私は実家に帰って親に報告をしました。
しかし、私が実家に帰る数日前。
母親は医者からガンと宣告されていました。
私は何も知らずに実家に帰りました。
そして、この時に母親の姿を見た時。
正直、私はショックで言葉が出ませんでした。
別人のように痩せ細ってしまった母親の姿がありました。
この日の2週間ほど前にも私は所用で実家に帰っていました。
しかし、この時はいつも通りの母親でした。
たった2週間でこんなにも変わってしまうガンの怖さを実感しました。
正直、この時は前の会社を辞めて起業するという報告をできるような状況ではなかったです。
しかし、私は母親に報告をしました。
この時に母親は私のことを応援してくれました。
この時には既に前の会社に退職届を提出していました。
しかし、もしももっと早く母親の病気のことを知っていたら私はもしかしたら今もサラリーマンをしていたかもしれません。
“なんでこのタイミングなんだ…”
当時は何度もこのように思いました。
私はこの日からしばらくの間、実家に戻ることにしました。
自分の事業の準備などをしながら母親がガンに負けないように、母親がガンに勝てるように、私も母親と一緒にガンと闘うことを決めました。
本当は自分の事業の準備などに専念しなければいけない時期でした。
それでも私には母親のことを放っておくことができませんでした。
当時は父親もショックで全く何も機能しない状況でした。
その為、私が医者からの話なども全て聞いてきました。
『和帆は仕事にだけ集中していいんだよ』
そんな私を見ながら母親はいつも私にこのように言っていました。
しかし、当時の私は何よりも母親のことが大事でした。
母親がガンに勝てるなら何でもしたいと思っていました。
それでも母親に仕事の面で心配をかけたくなかったので、母親が寝ている時や病院から帰った後は私も仕事に集中しました。
その中でそろそろ相談所名を決めなければいけない時期になりました。
“どうしようかな…?”
私もずっと悩んでいました。
その時にほんの軽い気持ちで母親に相談所の候補名を記載した紙を見せました。
『どれがいいと思う?』
私は母親に聞きました。
母親はその紙を少し見て、すぐにこのように言ってくれました。
『これがいいんじゃない』
『和帆っぽい!』
その相談所名が『良縁サポート 和』でした。
当時、実は周りの方達も『良縁サポート 和』が良いと言ってくれていました。
しかし、私の中では正直あまりピンと来ていない部分もありました。
自分で候補名を書き出しておきながら、私の中では人気薄だった名前でした。
“これで本当に良いのかな…?”
その為、私の中ではこのような気持ちが残っていました。
しかし、母親から『これがいいんじゃない』と言われた時。
“これにしよう!”
私は素直にこのような気持ちになりました。
この時の母親は既に余命宣告をされていました。
あまり会話も上手くできるような状況ではありませんでした。
その中で母親が『良縁サポート 和』の名前を指で示しながら頑張って『これがいいんじゃない』と言ってくれた姿が私にはとても印象的でした。
この時の母親の姿を私は今でも鮮明に覚えています。
そんな母親はガンを宣告されてから4ヵ月で亡くなってしまいました。
本当にいつも元気でパワフルな母親でした。
そんな母親が日に日に痩せていく。
自分1人では歩けなくなっていく。
あんなに食べることが大好きだった母親。
そんな母親が何も食べられなくなっていく。
母親のこの姿を見ていると私も本当に言葉にならない思いがありました。
しかし、当時はショックを受けている私の姿を母親には絶対に見せたくなかったです。
その為、母親の前ではいつも通りの自分でいるようにしていました。
父親をはじめ病室に来てくれる親戚なども絶望した顔で母親に接している姿を見ると正直、腹が立ちました。
私だって気持ちは物凄く分かります。
しかし、一番辛いのは母親です。
それをもっと理解して欲しかったです。
“いい加減にしろよ”って何度も思いました。
当時は本当にゲッソリしてしまい、姿かたちは本来の母親ではありませんでした。
しかし、それでも気持ちはいつも元気な母親のままでした。
本当に最後の最後まで母親は母親でした。
そんな母親も最後の方には誰が病院に来たとかも覚えられなくなってしまいました。
毎日誰かしらは病院に来てくれていました。
『最近、誰も来ないね』
それでも母親がこのように話す日も珍しくはありませんでした。
『でも、和帆が毎日来てくれているのは分かる』
その中で母親はこのように私に言ってくれました。
この時の母親の言葉も私の中では今でも心に残っています。
私は小さい時から母親にいつも誰よりも迷惑をかけてしまいました。
誰よりも心配をさせてしまったのも母親でした。
しかし、小さい時からいつも母親が私のことを守ってくれていました。
小さい時からこのことは自分でも分かっていました。
しかし、なんだか恥ずかしくて素直に『ありがとう』という言葉を母親にずっと言えずにいました。
母親が亡くなった日。
私は病院に行っていました。
『また来るね』
この日もいつものようにこのように言って病室を出ました。
これが母親と交わした最後の言葉でした。
この日の深夜に母親の容体が悪化しました。
病院に着いた時には母親は既に昏睡状態でした。
それでも頑張って息をしていました。
『母ちゃん、ありがとう』
この時に私は母親に何度も言いました。
最後の最後になって『ありがとう』という言葉を伝える。
本当に親不孝者だと思いました。
小さい時から母親にはいつも感謝していました。
私は世の中で誰よりも感謝していたのは母親でした。
それなのに“なんでもっと早く言えなかったんだろう…”と何度も思いました。
もっとして欲しいこと。
もっとしてあげたいこと。
母親に対しては沢山ありました。
母親が亡くなってしまった時。
もう本当にこれら全てができなくなってしまったことを実感しました。
実家に帰ればいつも母親はいました。
人生の中で当たり前のようにいた母親。
まさかこんなに早く失うことになるなんて思ってもいませんでした。
母親がいなくなった時に母親の存在の大きさを改めて実感しました。
実家を出て一人暮らしをして自立したつもりでいても心の何処かで私は母親に甘えていたのかもしれません。
親と喧嘩をしたり、親の文句を言う人もいます。
それが普通なんだと思います。
このような話を聞くと私はたまに羨ましく感じる時もあります。
私も母親とは何度も喧嘩をしたり、言い合いをしたこともあります。
当時は心底腹が立っていたけど、それすらできなくなる方が辛いと何度も思いました。
当たり前の幸せは当たり前ではないことを実感しました。
医者にガンを宣告された時。
自分の余命を告げられた時。
母親はどんな時でも最後の最後まで諦めていませんでした。
母親がガンに勝てること。
私もずっと本気で信じていました。
この未来しか見たくなかった。
しかし、心の何処かで覚悟はしていました。
だからこそ、当時は母親と一緒に過ごせる時間を大切にしていました。
いつ何が起きたとしても悔いのないように過ごしていました。
しかし、それでも悔やまれることを挙げだしたら、正直キリがないです。
本当に母親にはいつも苦労をかけてきました。
迷惑ばかりかけて、誰よりも心配させてしまいました。
“これ以上は母親に心配させたくない”
母親が亡くなって改めて私は思いました。
私が前に勤めていた会社は公的機関でした。
前の会社に就職が決まった時も母親は喜んでくれていました。
その会社を辞めて、起業をすることを伝えた時も母親は応援してくれました。
しかし、誰よりも心配していたと思います。
『応援することしかできないけど、和帆のやりたいことを頑張りな』
当時、このように言ってくれた母親の言葉が今でも私の力になっています。
母親が亡くなってしまった時。
もうこれ以上は心配をかけたくない。
これから仕事を頑張って、母親を安心させたい。
私は心に強く誓いました。
あれからもう何年もの月日が経ちました。
今の自分の姿。
母親からはどう見えているのかは分かりません。
しかし、少しは安心してくれていると嬉しいです。
もっともっと大きくなって、母親の自慢の息子になりたいです。
その為にも私はこれからも本気で全力で生きていきます。
これからも母親に良い報告を沢山していけるように私はこれからも全力で精進してまいります。
母親が後押しをしてくれた『良縁サポート 和』という相談所名。
私はこれからも誇りをもって大切にしていきたいです。
絶対に叶えたい夢。
成りたい自分の姿。
私には明確にあります。
この夢を叶えた時の姿を母親にも見て欲しかったです。
しかし、もうこれは叶いません。
でも、きっと何処かで今でも母親は見守ってくれていると思います。
天国から私が夢を叶えた時の姿を絶対に見せてあげたいです。
母ちゃん、いつも本当にありがとう。
これからもよろしくね!!
また、昨日は株式会社 RSKの設立記念日でしたので、弊社カウンセラーの臼井と一緒に新しいネクタイを買いに行きました。
行く前までは“何色にしようか?”と考えていましたが、やはり私は赤を選びました。
一応、『良縁サポート 和』のイメージカラーは赤です。
また、昨日から個人でもTwitterも始めてみました。
これまでもTwitterは相談所のアカウントはありました。
しかし、ブログ通知ぐらいしかやっていなかったので、個人の方では少し色々と普通につぶやいていこうかなと思っています。
私は基本的にブログなども長いのでTwitterの文字数制限に不安はありますが、短い文章でも伝える力を磨きたいです。
あくまで私のメインはブログですが、Twitterも楽しみながらコツコツやっていこうと思っています。
今年2023年は『良縁サポート 和』にとって本当に勝負の年です。
まだまだ新しい試みを今後もやっていきます。
今年2023年は昨年よりも何倍も何十倍も『最高の景色』を私は必ず仲間と一緒に見ます。
会員様達に『幸せな結婚』を叶えて頂くことが私にとっても一番の幸せでもあります。
会員様1人1人の『幸せな未来。』
私は会員様と一緒に見たいです。
その為にも私はこれからも会員様1人1人のことを本気で全力サポートしていきます!
今後とも『良縁サポート 和』をどうぞよろしくお願い致します。
『楽しい婚活。』をしながら『幸せな結婚。』を叶えましょう!!
【表彰】…IBJ Award 4期連続・成婚TOP30等
『安心・安全な結婚相談所の証』…【マル適マーク】を取得。