会員様から届いた『訃報』…私も母親のことが頭に浮かんだ。
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目次
- 天国から幸せな姿を見せてあげようと2人で泣いた夜。
- 【表彰】…IBJ Award 3期連続・成婚TOP30等
- 『楽しい婚活』をしながら『幸せな結婚』を叶えましょう!
- 『コロナ対策』を徹底・『オンライン相談』も受付中です!
- 『安心・安全な結婚相談所の証』…【マル適マーク】を取得。
天国から幸せな姿を見せてあげようと2人で泣いた夜。
家族。
友人。
恋人。
誰にでも大切な人はいると思います。
自分にとって本当に大切な人。
そんな大切な人の死。
これはいつ来るのかは分からない。
突然、襲ってくる時もある。
昨日までは当たり前のように側にいた人。
声が聞きたい時にいつでも声が聞けた人。
会いたい時にもいつでも会いに行けた人。
そんな人が突然、この世から去ってしまう。
辛い…。
悲しい…。
とてもじゃないけど、こんな一言では整理できない。
あの瞬間…。
あの会話…。
これがその人との最後になるなんて想像もしていなかった。
病気。
事故。
人の命が奪われる状況は色々ある。
どんな状況であっても大切な人が亡くなったという事実は変わらない。
大切な人の死は何よりも深い悲しみに襲われる。
“いつかはこんな日が来るかもしれない…”
心の何処かで覚悟をしていた。
それでも本当に大切な人がこの世を去った時。
自分の想像以上に心が痛む。
昨日までは当たり前にあった幸せ。
この幸せが当たり前じゃなかったと痛感する。
“もっとこうしてあげれば良かった…”
“もっとしてあげられることがあったんじゃないか…”
どうしても頭の中を巡る。
大切な人が亡くなった喪失感。
言葉では言い表せられない孤独感。
息をする度に襲ってくる。
どんなに涙を流しても。
どんなに後悔をしても。
失った命は戻ってこない。
家族。
友人。
恋人。
自分と近い距離にいた人の死。
どんなに時が流れても大切な人が自分の中から消えることはない。
先日、会員様の大切なご家族が亡くなった。
この話を聞いた時は私の本当に辛かった。
ご家族が闘病をしていることは私も知っていた。
回復すること。
完治すること。
会員様が本気で信じていたことも私は知っていた。
『自分の子供を見せてあげたいです』
5ヵ月前に入会した時。
今回の会員様はこのように話していた。
『何としても叶えさせてあげたい』
この日、私はこのように強く思った。
何としても実現させてあげたかった。
しかし、もう実現させてあげることができなくなってしまった。
本当に申し訳ない気持ちしかない。
正直、本当に辛い。
しかし、一番辛いのは会員様本人。
幸せな結婚を叶えた姿を見せてあげられなかった。
自分の子供を見せてあげることができなかった。
このような気持ちはもちろんあると思う。
しかし、何よりも大切なご家族が亡くなった現実が本当に辛い。
今回の会員様には現在、真剣交際中の相手がいる。
交際が成立してから3ヵ月目に入ったところだった。
あと一歩だった。
もう少しだった。
本当に悔しい。
会員様とは少しだけ電話で話をした。
声はいつもの声だった。
少し安心もした。
しかし、それ以上に心配になった。
辛さ。
悲しみ。
苦しみ。
様々な感情を我慢していることが分かった。
『我慢しなくても良い』
『泣いても良い』
私は言った。
無言のまま少し時間が経過した。
会員様の感情が溢れ出した。
私には受け止めることしかできなかった。
大切な家族が亡くなったことは真剣交際中の相手にも話をしたと言っていた。
予定していたデートやイベントなども一旦リスケになった。
こればっかりは仕方ないこと。
相手もちゃんと理解をしてくれたらしい。
会員様の相手が人としての気持ちがある人で私は安心した。
これは本当に救いだった。
会員様の話を聞きながら会員様も少し落ち着いてきた。
そして、ちゃんと前を向いていた。
本当に辛い中でもしっかりと前を向いていた。
自分の幸せな姿。
自分の子供。
『もう見せてあげることができない』と泣いていた。
『天国から見せてあげたい』と泣いていた。
この言葉を聞いて私も涙が出た。
様々な感情。
強い気持ち。
私にはとても伝わってきた。
本来は年内に『ご成婚退会』をする予定だった。
しかし、このような状況でそれは難しくなった。
これも仕方ないこと。
しかし、来年の今頃には新しい命が宿っているかもしれない。
もしかしたら新しい命が誕生しているかもしれない。
しかし、子供も授かりものなので不透明な部分もある。
ただ、1つ言えることがある。
来年の今頃には会員様の幸せな姿は絶対にある。
この未来だけは私には見える。
確かに、予定よりも『ご成婚退会』の時期は少し遅れる。
しかし、長い人生で見たらホンのたった数ヵ月の話。
このような話も相手は理解してくれているようで私も安心した。
将来のこと。
相手とのこと。
色々と考えてしまうのは仕方ないと思う。
しかし、今は大切な家族のことだけを考えて欲しい。
会員様にも伝えた。
たとえ、この世から去ったとしても。
これからもずっと天国から見守ってくれている。
これは間違いない。
今回の会員様の『幸せな未来』を絶対に叶える。
この日、私も改めて心に強く誓った。
これからお通夜や葬儀などもある。
その中で本当にいなくなってしまったことを実感する時もあると思う。
その時にはまた辛さや悲しみに襲われてしまうかもしれない。
そういう日が来たとしても相手もちゃんと支えてくれると思う。
もちろん、私も全力で支える。
『もっと早く婚活をしていれば良かった…』
この日、会員様はこのような話もしていた。
しかし、そんな風に思わなくても良い。
あの時に婚活を始めたから。
あのタイミングで入会したから。
今のような素敵な方との出会いがあった。
ここまで順調に交際を進めることができた。
真剣交際まで辿り着くことができた。
『幸せな結婚』が目の前にある現実がある。
だから何も間違っていない。
近い将来、『幸せな未来』が必ず待っている。
自分の『幸せな未来。』
たとえ姿形がなかったとしても。
この未来を叶えることがご家族にとっても一番の幸せだと思う。
『この未来を見せてあげましょう』
2人で話した。
そして、2人で泣いた。
これからも一緒に頑張っていきましょうね!
この日、会員様と話をしながら私は自分の母親の顔が頭に浮かんだ。
2019年7月。
私の母親は癌で亡くなった。
あれからもう3年半も経つ。
時が経つのは本当にあっという間だ。
癌が見付かった時。
医者からは余命3ヵ月と告げられた。
この日から4ヵ月後。
母親は亡くなった。
いつも元気でパワフルな母親だった。
そんな母親が日に日に痩せていった。
昨日までは普通にできていたことができなくなっていた。
食べることが大好きな母親だった。
そんな母親が最後の方には氷しか食べられなくなった。
病院には毎日、沢山の人がお見舞いに来てくれた。
最初の頃は母親も1人1人のことを覚えていた。
しかし、せん妄の症状が出てからは誰が病院に来てくれたのかも分からなくなっていた。
父親や親戚も毎日のように病院に行っていた。
それなのに母親は『最近、誰も来ない』と言っていた。
『でも、和帆が毎日来てくれているのは分かる』
それでも母親はこのように言ってくれた。
癌が見付かってから母親とは色々と沢山の話をした。
その中でも母親のこの言葉が私は一番嬉しかった。
病気が見付かってから父親は深く落ち込んでいた。
先生の話なども冷静に聞ける状況ではなかった。
その為、長男である私が先生の話なども全て1人で聞いてきた。
治療法や何かあった時の決断なども全て任された。
時には辛い決断をしなければいけないこともあった。
癌が見付かってからの親戚などへの連絡。
亡くなった日に葬儀屋の打ち合わせ。
全て1人でやってきた。
当時は私だって正直、心にそんな余裕はなかった。
それでも私がやるしかなかった。
決して、やりたくなかった訳ではない。
むしろ、母親の為にできることは何でもやりたかった。
それが母親の為にできることでもあった。
そんな私の両親は共働きだった。
その為、私は小学校1年生から鍵っ子だった。
朝、鍵を閉めて家を出る。
学校が終わったら学童に行く。
学童が終わったら家に帰って鍵を開ける。
そして、母親の帰りを待つ。
小学生の時は毎日このような生活だった。
学校や学童に行けば友達がいる。
しかし、家に帰ったら1人だった。
確かに、1人で寂しいと感じる日もあった。
しかし、不満はなかった。
母親は私に寂しい思いをさせないようにしてくれていた。
ずっと私に寄り添ってくれていたのを感じていた。
だから私は1人でも平気だった。
たまに母親が買ってきてくれるフローズンヨーグルトが私の楽しみの1つでもあった。
仕事も忙しかった母親。
それでも学校行事などは必ず参加してくれた。
授業参観なんか来なくても良いと思っていたけど、教室に母親が入ってくると安心もした。
私は何故か幼少期~小学校の時の記憶が未だに鮮明にある。
中学校、高校よりも小学校の時の方が色々なことを覚えている。
子供の時の記憶にはいつも母親がいる。
それなのに私は子供の時から母親に誰よりも迷惑をかけてきた。
誰よりも心配させてしまったのも母親だった。
時には周りから私のことを色々と言われる日もあったと思う。
それでもそんな雑音を私に聞かせないようにしてくれていたのも知っていた。
いつもどんな時でも小さい時から誰よりも私のことを守ってくれていたのは母親だった。
これは小さい時からずっとずっと分かっていた。
私にとって母親は本当に大切な存在だった。
これだって小さい時からずっとずっと分かっていた。
しかし、母親が亡くなってから改めて母親の大切さを実感した。
小さい時から母親の愛情をずっと感じていた。
小学生の時に妹が生れてから父親は妹ばかりになった。
しかし、この時も母親はちゃんと私のことを見てくれていた。
だから私は別に父親が妹ばかりでも何とも思わなかった。
しかし、当時、感じた違和感を私はまだ覚えている。
このような話をすると父親と妹に対して、何か思っていると勘違いされる時もある。
しかし、別に2人に対して、変な感情は一切ない。
大切な家族に変わりはない。
ただ、このように思えているのも母親が当時ちゃんと私のことも大事にしてくれていたからだ。
これは間違いない。
小さい時から母親からは沢山の愛情を感じていた。
それなのに私は昔から母親に『ありがとう』という言葉が素直に言えなかった。
大人になってからも何だか照れくさくて、素直な気持ちを言えずにいた。
でも、心の中ではいつも感謝していた。
本当にいつも元気だった母親。
風邪も引かず本当にパワフルだった。
そんな母親が2019年7月26日午前4時29分に亡くなった。
この時は本当に辛かった。
亡くなった日。
病院に着いた時には既に昏睡状態だった。
『母ちゃん、ありがとう』
私は母親の手を握りながら何度も言った。
今までの分、何時間も母親に感謝の言葉を伝えた。
この日、私は午後にも病院に行った。
母親はテレビで高校野球を観ていた。
この日も昨日と変わらない様子だった。
ちゃんと会話もできた。
氷も食べていた。
病院を出る時に『また来るね』と母親に言った。
これが母親とちゃんと話をできた最後の瞬間だった。
この時の母親の顔を私は今でも覚えている。
この日、母親から『コーラの氷が食べたい』と言われた。
私は看護師さんに確認をした。
看護師さんからは『大丈夫です』と言われた。
私は病院を出てからコンビニでコーラを買った。
そして、実家の冷凍庫でコーラの氷を作った。
明日、喜ぶだろうなと私は思っていた。
早くコーラの氷を食べさせてあげたいと思っていた。
母親の喜ぶ顔を見るのが楽しみだった。
しかし、この日、母親は亡くなった。
久しぶりに母親が自分から『これが食べたい』と言った。
それがコーラの氷だった。
それなのに食べさせてあげることができなかった。
もっと母親にしてあげたいこと。
もっと母親にして欲しいこと。
まだまだ沢山あった。
もっと母親の手料理が食べたかった。
これからの自分のことも見て欲しかった。
これからの自分のことを見せてあげたかった。
今まで迷惑をかけてきた分。
安心もさせてあげたかった。
母親にとって自慢の息子になりたかった。
“いつかこのような日が来ること”
癌が見付かってから心の何処かで覚悟はしていた。
でも、絶対に治るって本気で信じていた。
あんなにパワフルで元気な母親が癌に負けるなんて思ってもいなかった。
癌が見付かった時は既にステージ4だった。
手術もできない状態だった。
でも、手術ができるぐらいに回復すること。
悪い腫瘍を取り除ける日が来ること。
私はずっと信じていた。
父親をはじめ病院に来る人達の中には絶望している表情を母親の前で浮かべる人もいた。
このような時は私も正直、腹が立つ時もあった。
癌になってしまい一番辛い思いをしているのは母親。
それでも母親は誰かが病院に来る度にいつも通り元気そうに振舞っていた。
それなのに『そんな顔で母ちゃんを見ないでくれ』と思うことも何度もあった。
ただ、お見舞いに来てくれる人の気持ちも痛いぐらいよく分かる。
実際、私自身も母親の姿を見ると辛くなる時もあった。
どちらかといえば、ふくよかだった母親。
そんな母親が顔もコケてしまった。
身体もゲッソリと痩せてしまった。
それでも母親は最後の最後までいつも通りの母親だった。
だから私も母親にはいつも通りに接していた。
正直、気を抜いたらいつでも涙は出てきた。
でも、母親の前では1度も涙も見せなかった。
亡くなった直後。
お通夜の時。
葬儀の時。
私は母親の前で泣くのを我慢していた。
でも、家に帰ってから何度も泣いた。
本当に辛かった。
今もこの記事を書きながら涙が出てきた。
当時も母親のことはアメブロには書いた。
この時も泣きながら書いた。
3年半経って、また同じことをしてしまった。
母親に癌が見付かった日から亡くなるまでの間。
私はずっと『絶対に治る』と本気で信じていた。
また母親の手料理が食べられる日をずっと楽しみにしていた。
しかし、母親は亡くなってしまった。
どんなに願ってもそれはもう叶わない。
確かに、母親の姿形はなくなった。
しかし、今でも母親が何処かにいるような気がする時がある。
もういないのは現実。
だけど、いなくなったという実感が未だにない。
もちろん、ちゃんと受け入れてはいる。
現実をちゃんと見ている。
でも、きっと何処かで見守っていてくれていると私は思っている。
私がサラリーマンを辞めて起業すると決意した時。
まずは母親に話をした。
母親は一番応援してくれた。
しかし、一番心配していたのも母親だった。
母親が亡くなった時。
『もうこれ以上、心配はさせたくない』
『早く安心させてあげたい』
私は改めて思った。
『良い報告ができるように頑張る』
『いつもありがとう』
お墓に行った時。
実家に行った時。
私は今でも毎回このように話している。
会員様が私と一緒に活動することを決めてくれた時。
会員様が『幸せな結婚』を叶えることができた時。
私はいつも母親に報告をしている。
母親が亡くなったのは3年半前。
この時よりも自分が見ている景色も少しは変わってきた。
今の私のことを母親がどう見てくれているのかは分からない。
まだまだ成りたい自分にはなれていないけど、少しは安心してもらえていたら嬉しいな。
私自身もまだまだだと思っているし、こんなレベルで満足するような気持ちで起業した訳ではない。
これからも私は自分の夢を叶える為に全力でやっていく。
叶えた時には母親が大好きだったカニとビールで母ちゃんも一緒にお祝いしてくれたら嬉しい。
私にとって母親は今でも本当に大切な人です。
いつも本当に感謝をしている人です。
今回の会員様も大切な家族を失ってしまい、今は本当に辛いと思います。
しかし、必ず自分のことを見守ってくれていると思います。
『幸せな結婚』を叶えた時。
自分の子供が生まれた時。
この時は天国から絶対に喜んでくれます。
身体という形はなくなったとしても心の中にはずっといてくれると思います。
今回の会員様のご家族には私も実際にはお会いしたことはないです。
しかし、入会前からご家族が闘病している話は聞いていました。
その為、私の中にも特別な感情があります。
絶対に会員様の幸せな姿を見せてあげたいと思っています。
真剣交際中のお相手も優しく寄り添ってくれているそうです。
ここまでも順調に交際を進めてきた2人です。
私も安心して2人の交際は見守ることができています。
今回の会員様にも私がちゃんと付いています。
安心して見守って頂けたら嬉しいです。
私が責任をもって、一緒に『幸せな未来』を築いていくので任せて下さい!
さて、2022年も残すところ1ヵ月を切ってしまいました。
時が経つのは本当に早いなと思います。
これから年末年始にかけて、婚活も活発になってくる時期でもあります。
私も改めて気を引き締めて、全力で頑張っていきたいと思います。
婚活をする場所として、『良縁サポート 和』を選んでくれた会員様達の気持ちが私は本当に嬉しいです。
本当に『嬉しい気持ち』で一杯になります。
この時に会員様達から頂いた『嬉しい気持ち』に対する最低限の恩返し。
それは会員様達に『幸せな結婚』を叶えて頂くことだと思います。
その為にも私はこれからも会員様1人1人に対して、本気で全力サポートをしていきます。
会員様全員の『幸せな未来。』
私は会員様1人1人と一緒に見たいです。
会員様1人1人が『幸せな未来』を叶えられること。
私はいつも本気で願っています。
会員様1人1人が『幸せな結婚』を叶えられること。
私はいつも本気で信じています。
この未来を実現させる為にも『願う以上のこと』『信じる以上のこと』だけでなく、『自分にできる以上のこと』を私は会員様に対しては全力でしていきます。
今後とも『良縁サポート 和』をどうぞよろしくお願い致します。
『楽しい婚活。』をしながら『幸せな結婚。』を叶えましょう!!
【表彰】…IBJ Award 3期連続・成婚TOP30等
『安心・安全な結婚相談所の証』…【マル適マーク】を取得。