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僧侶と神職がご縁をつなぐ結婚相談所
私は仕事の合間をみて、遠く離れて一人で暮らす母の介護に片道三時間かけて通っていました。一緒に食事をし、時には温泉旅行にも出かけました。そんな日々の中で、忘れられない出来事がありました。母と二人でテレビを見ていた時のことです。ニュースで小学生の女の子が行方不明になったという報道が流れました。以前の母なら、すぐにテレビを消したり、別の話を始めたりして、その話題から私を遠ざけていました。けれど、その日の母は違いました。ニュースを見ながら、静かにこう言ったのです。「かわいそうにね。」「きっと見つかるわよ。」「大丈夫。」そう言って、私の方を見て微笑みました。私は胸が熱くなりました。その時、私はふと思いました。「ああ、母は神様や仏様からお慈悲をいただいたのかもしれない。」神道や仏教には、辛い経験をした人の記憶を和らげるという慈悲を与えてくださる、そんな考え方があります。家族と私は、申し合わせたように、私が幼い頃に遭ったあの誘拐事件について一度も話したことがありませんでした。母がその事件をどう思っていたのか、私は聞いたことがありません。私にその記憶が残っていることを母が知っていたのかどうかも分かりません。けれど、今振り返ると、母はずっと私を気遣ってくれていたのではないか。そんな気がします。行方不明のニュースを見ることで、私に辛い記憶を思い出させてはいけない。そんな親心があったのではないかと私は思っています。時は流れて、少しずつ衰弱していく母を一人にはできないと思い、施設へ入ってもらうことにしました。その後、新型コロナがはやり始まりました。さらに、後になって知ったことがあります。母が入所していた施設で、大きな事件が起きていたのです。詳しくはここでは申しませんが、その知らせを聞いた時、ショックを受けました。今振り返ると、母もまた守られていたのかもしれないと思いました。その後、母は施設から病院へ入院することになりました。当時は感染予防のため、面会は許されませんでした。母に会いたくても会えない。そんな日々が続きました。そして、母は誰にも会えないまま静かに息を引き取りました。私は、母が亡くなる数日前から高熱が出ていました。当時は、発熱がある人は外出や人との接触を控えるよう求められていました。本当なら、這ってでも母のもとへ駆けつけたかった。けれど、家族からは「コロナかもしれないから来ないでほしい」と言われました。あの頃は、それが当たり前とされた時代でした。母は生前、こう話していました。「私(母)が死んだら、瑤盛(ようせい)に葬儀の導師をしてもらいたい。」それが母の願いでした。そして、私は葬儀の導師を務めることも叶いませんでした。このことで母を想う気持ちがより一層強くなりました。葬儀に出られないという辛くて悲しい経験が、後に私の人生を大きく変えることになったのです。次回へ続く。━━━━━━━━━━━━━「逆境は好運の始まり」369Hz https://youtu.be/S -oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri━━━━━━━━━━━━━結婚相談所 紅絲線(こうしせん)堀越瑤盛(ほりこしようせい)━━━━━━━━━━━━━
前回、私は「父がいなかったらこの世に生まれていませんでした」とお話ししました。今日は、その理由をお話しいたします。私が小学校高学年の頃、母と大喧嘩をしたことがありました。その時、母は怒りのあまり私にこう言いました。「あなたを産むつもりはなかった。」私は言葉を失いました。母は続けました。「あなたを産まないために薬を飲んでいた。」「あなたは、お父さんがいなかったら産まれていない。」時間が止まりました。何を言われたのか理解できませんでした。私はその話をずっと心の中にしまっていました。そして数年後、父に聞きました。「お父さん、お母さんから聞いたんだけど、本当なの?」父はしばらく黙り、遠くを見るような目で話し始めました。「本当だよ。」「お前がお腹にいる時な、お母さんは薬を飲んでいたんだ。」「ある日な、タンスの上に薬が置いてあったから、どうしたんだ?風邪でもひいたのか?って聞いたんだ。」「そうしたらな、お母さんの顔色が変わったんだよ。」「どうした?」「何かあったのか?」そう聞くと、お母さんはお腹をさすりながら泣き出したんだ。『赤ちゃんが……』ってな。」「できたのか!」って聞いたら、お母さんは泣きながらうなずいたんだ。「じゃあ、この薬は何なんだ?」そう聞いたら、お母さんがな、声をあげて泣きながらこう言ったんだ。『この子を産まないための薬なの。』って。」父は少し黙り、そして続けました。「だからな、お父さんはお願いしたんだよ。」「頼むから産んでくれ。」「頼むからこの子を産んでくれ。」何度も何度もお願いしたんだ。」母は悩みました。何日も何日も父と話し合ったそうです。そして、母は、産むという決断をしてくれました。私には四つ上の兄がいます。けれど、それだけではありませんでした。もし皆が無事に生まれていたら、私は二人兄弟ではなく、六人兄弟でした。四人の兄弟姉妹は天国にいます。今振り返ると、母も苦しかったのだと思います。父も苦しかったと思います。それでも二人は、私をこの世に送り出してくれました。生まれる前から、私は守られていました。父に守られ、母に守られ、たくさんの人に支えられながら、六十三年間、生かされてきました。私は今、強く思います。人は一人で生きているのではない。生かされている。だからこそ、この命を大切にしたい。そう思うのです。次回は、コロナ禍での母との別れ。そして、母が私に遺した最後の願い。さらに、幼い頃に聞いた不思議な言葉。私が神職への道を歩むことになった不思議なご縁についてお話しいたします。次回へ続く。━━━━━━━━━━━━━━━━━━「逆境は好運の始まり」369Hz https://youtu.be/S -oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri━━━━━━━━━━━━━━━━━━結婚相談所紅絲線(こうしせん) https://www.kousisen.jp/ 堀越瑤盛(ほりこしようせい)━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私は真言宗の僧侶ですが、曹洞宗での修行を五年間勤め終え、再び法務に携わる日々を送っていました。そんな中、父との別れが訪れました。父は生前、私が唱える九条錫杖経が大好きでした。そして、よく笑いながらこんなことを言っていました。「瑤盛は忙しいから、きっと親の死に目には立ち会えないだろう。だから、お父さんが死んだら、お父さんの方から会いに行くよ。もし外でお勤めしていたら、天気を明るくしてあげる。お日様をニコニコさせてあげる。鳥肌も立たせてあげる。そして、お父さんの顔を思い浮かばせてあげる。もし室内なら、眉間のあたりを温かくしてあげる。そしてお父さんの映像を見せてあげる。」父らしい、冗談交じりの言葉でした。私は笑いながら聞いていました。ある日、私はご法事を控え、控室で準備をしていました。そこへ家族から電話が入りました。父が危篤だという知らせでした。「すぐ帰れ。」そう言われました。けれど、私は11時からご法事がありました。その夜には、別の方のお通夜もありました。さらに、会場から実家までは遠く、すぐに駆けつけることはできませんでした。11時になり私は墓地の前で九条錫杖経を唱えていました。すると、急に空が明るくなり、お日様が顔を出したのです。そして、不思議なくらい暖かくなりました。その瞬間、父の顔が心に浮かびました。「ああ、父が来た」そう思いました。後で知ったのですが、その時間こそ、父が息を引き取った時刻だったのです。ご法事を終え、私は着替えを済ませ、その夜のお通夜へ向かうためバスに乗りました。父の供養のために、録音してあったお経を聞こうと思いました。ところが、なぜか違う曲を再生してしまいました。流れてきたのは、竹内まりやさんの「いのちの歌」でした。出会えたこと。育ててくれたこと。この命にありがとう。その歌詞が胸に響きました。私はバスの中で、涙が止まりませんでした。父は本当に、約束通り会いに来てくれたのかもしれません。その日も、翌日も、法務が続きました。ようやく父のもとへ駆けつけた時には、お通夜が始まっていました。私は父の臨終に立ち会うことはできませんでした。けれど、不思議と後悔はありません。これまで多くの方のお葬儀の導師を務めてまいりましたが、死に目に会えることは、当たり前ではなく、むしろ奇跡です。大切なのは、最後の瞬間に立ち会えたかどうかではありません。その人をどれだけ大切に思っていたかです。父は今も、私たち家族を見守ってくれている。私はそう信じています。そして、父との思い出を振り返るたびに、もう一つ、忘れることのできない出来事があります。実は私は、父がいなかったらこの世に生まれていませんでした。私の命は、父が守ってくれた命だったのです。生まれる前から、私は父に守られていました。そのお話は、次回お話しいたします。また、母との別れ。そして、私が神職への道を歩むことになった不思議なご縁についてお話しいたします。次回へ続く。━━━━━━━━━━━━━「逆境は好運の始まり」369Hz https://youtu.be/S -oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri━━━━━━━━━━━━━結婚相談所紅絲線(こうしせん) https://www.kousisen.jp/ 堀越瑤盛(ほりこしようせい)━━━━━━━━━━━━━
娘の病気を乗り越え、議員としての活動も続いていました。そんな中、私は結婚相談所で一人の僧侶と出会いました。私は最初から、僧侶以外の方とお見合いをする気はありませんでした。なぜなら、幼い頃からの夢が僧侶になることだったからです。実は一度目の結婚相手は美男子でした。次はあえて身長は低く、お腹が出ていて剃髪している人。仏様のような穏やかな方を望んでいました。いなかっぺ大将の大ちゃんのような人を選んでいました。師僧(亡き夫)プロフィールには身長160センチと書いてありましたが、お会いした瞬間に「ああ、160センチはないな」と思いました。(苦笑)運命的なものは感じなかったものの、不思議な安心感がありました。この人は、私を騙すような人ではないだろう。そう感じました。そして私は、自分の思いを正直に伝えました。「私はお嫁さんになりたいのではありません。僧侶になりたいのです。」当然、驚かれました。けれど、何度も話し合ううちに、お互いが納得できる形が見えてきました。一般的な夫婦とは少し違う関係でした。師僧と弟子の関係になりました。亡くなるまで清らかな関係でした。ピュアラブでした。そして、議員としての任期を一年残した頃、私は得度式を受けることになりました。剃髪をする前日、電車の中で両親と話をしました。議員活動のためにカツラを作ることになった時、母が笑いながらこう言いました。「どうせならカトちゃんぺみたいな坊主頭のカツラを作ればいいじゃない。」電車の中で大笑いしたことを今でも覚えています。そして翌日、私は剃髪しました。多くの女性は涙を流すそうです。けれど私は違いました。本当に嬉しかったのです。写真に写る私は、満面の笑みでした。幼い頃からの夢がようやく叶った瞬間でした。その後、一年間はカツラを着けながら議員活動を続け、お寺へ通いながら師匠から多くのことを学ばせていただきました。そして任期満了をもって、私は娘と二人で京都へ移住しました。娘は中学校へ。私は大学へ。京都へ転入届を出した日。それは、私が幼い頃から夢見ていた僧侶への道が本格的に始まった日でもありました。ここから、私の修行が始まります。次回は、父と母の生前遺言。そして、私が神道を学ぶことになった不思議なご縁についてお話しいたします。次回へ続く。━━━━━━━━━━━━━━━━━━「逆境は好運の始まり」369Hz https://youtu.be/S -oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri━━━━━━━━━━━━━━━━━━結婚相談所 紅絲線(こうしせん) https://www.kousisen.jp/ 堀越瑤盛(ほりこしようせい)━━━━━━━━━━━━━━━━━━
私は若い頃、恋人との死別を経験しました。愛する人との別れは、人生で初めて味わう大きな悲しみでした。その後、結婚相談所で出会ったお医者様との結婚話がまとまりました。結婚間近まで進みましたが、私は自ら破談を決断しました。ほんの少しのボタンの掛け違いでした。今なら笑って許せることも、当時の私は許せませんでした。しかし今振り返ると、あの決断もまた必要な出来事だったと思っています。その後、両親の反対する人と結婚。娘にも恵まれました。けれど人生は思うようには進みませんでした。5年間の別居。そして私はシングルマザーとして娘を育てる日々が始まりました。夫からの資金援助は0円でしたから生活は楽ではありませんでした。早朝は新聞配達をし、昼も働いていました。雪の日にバイクで転倒し新聞を道路にまき散らして怪我をしたこともありました。その事故以来、バイクが怖くなり、乗用車での配達に切り換えました。ある日、配達から帰ると玄関のカギがあいていて寝ていたはずの娘がいなくなっていました。慌てて近所を探すと、娘は裸足のまま歩いていました。どうしたのか聞くと、「お母さんを探していた」そう言いました。私は胸が締め付けられました。それからは、娘も一緒に新聞配達へ連れて行くようになりました。後部座席とトランク部分を平らにし、そこへ布団を敷いて娘を寝かせていました。自立をしなければならないと思い宅地建物取引士の資格も取得しました。眠い目をこすりながら勉強した日々は、今でも忘れられません。しかし無理はきかないもので私は難病を発症してしまいました。そして別居中の夫には私から離婚を申し出て離婚が成立しました。その後、町役場に勤めながら、休日には骨髄バンク、アイバンク、腎バンクのボランティア活動をしていました。その私の活動を見ていたある政治家の方から、地方議員にならないかと声をかけていただきました。最初はお断りしました。そんな簡単に当選できるとは思わなかったからです。しかし、何度もお声をかけていただくうちに、お役に立てるのならと思い直し、出馬を決意しました。ところが、役場職員が出馬するというだけで、誹謗中傷の的となり、怪文書が町中にばらまかれました。ありがたいことに、かつての新聞配達の仲間が怪文書を回収してくださいました。娘は当時、小学生でした。私は娘に、「この怪文書に書かれていることは嘘だから心配しないでね」と伝え、学校へ送り出しました。そして、ありがたいことに当選させていただきました。議員として活動する中で、多くの方とのご縁をいただき、充実した日々を送っていました。しかし、活動を始めて2年が過ぎた頃、娘が白血病の疑いで入院することになりました。まさか、自分の人生にこんな出来事が起きるとは、思ってもいませんでした。しかし、この出来事が私の人生を大きく変えることになります。そのお話は第4話でお伝えした通りです。次回へ続く。━━━━━━━━━━━━━「逆境は好運の始まり」369Hz https://youtu.be/S -oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri━━━━━━━━━━━━━結婚相談所 紅絲線(こうしせん) https://www.kousisen.jp/ 堀越瑤盛(ほりこしようせい)━━━━━━━━━━━━━
娘の入院中、私はさまざまな命と向き合いました。病院で出会った多くの子どもたち。そして交通事故で運ばれてきた少女。その一つひとつの出来事が、私の心を大きく揺さぶりました。実は娘の病気が発覚する少し前、私は国政選挙への出馬を複数の政党から打診されていました。当時は無所属議員として活動していました。なぜ私にこれほどまでお声をかけていただけるのか、自分でも不思議でした。新聞にも私の名前が掲載されました。今振り返ると、まさにその頃の私は順境の中にいました。けれど人生を振り返ると、順境は人を試し、逆境は人を磨くものなのだと思います。当時の私は、それをまだ知りませんでした。しかし、その後に訪れた娘の病気が、私の人生を大きく変えることになったのです。入院中、私は今まで見たことのない光景を目にしました。病棟には、重い病気と闘う多くの子どもたちが入院していました。中には、目を背けたくなるような重い障がいを抱えた子どもたちもいました。ご両親が車椅子やストレッチャーを押しながら、病院の廊下をゆっくり散歩されている姿を何度も見かけました。その時、私は深く考えさせられました。私は娘を五体満足で産むことができた。そして、ここまで育てることができた。それは決して当たり前のことではなかったのです。世の中には、生まれた時から大きな試練と向き合っている子どもたちがいる。その子どもたちを支え続けるご家族がいる。私は病院で、その現実を初めて知りました。そんなある日、院内学級の本棚で一冊の本に出会いました。それは一休禅師の絵本でした。その瞬間、幼い頃から抱いていた夢を思い出したのです。「そうだ。私は僧侶になりたかったんだ。」そして私は心の中で決意しました。もし娘の命が尽きることがあったなら、私は供養のために僧侶になろう。そう誓いました。その後、骨髄検査の結果が出て、奇跡が起きました。3件の病院で白血病の疑いがあると言われていたのに、娘は白血病ではなかったのです。そして退院を許されました。けれど、私の決意は変わりませんでした。病院で出会った子どもたち。先に旅立った子どもたち。悲しみの中にいるご家族。その方々のためにも、私は僧侶になろうと思ったのです。そして地方議員の任期満了をもって、私は僧侶の道へ進むことを決めました。振り返ると、あの病院での日々が私の人生を大きく変えました。娘の病気がなければ、今の私はいなかったかもしれません。次回は、恋人との死別、破談、結婚、離婚、再婚、そして再び訪れた死別についてお話しいたします。━━━━━━━━━━━━━━━━━━「逆境は好運の始まり」369Hz https://youtu.be/S -oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri━━━━━━━━━━━━━━━━━━結婚相談所 紅絲線(こうしせん)堀越瑤盛(ほりこしようせい)━━━━━━━━━━━━━━━━━━
娘の入院中、今も忘れられない出来事がありました。ある日、病院の売店へ向かう途中、手術室の前で30代半ばくらいの女性が、赤いランドセルを抱きしめながら泣いていました。少し時間をおいてからお声をかけると、その方は交通事故で運ばれてきた娘さんのお母さんでした。「今朝、元気よく『学校へ行ってきま~す!』と出かけたんです…」そう言いながら、泣き崩れておられました。つい数時間前まで元気だった娘さんが、突然の交通事故で生死の境をさまよっているというのです。私の娘も病気で入院していることをお話ししました。実は、数日前に私の娘も痙攣を起こし、チアノーゼが出て、一時は心臓マッサージを受けていました。私は毎日、「娘が死んでしまったらどうしよう」そのことばかり考えていました。しかし、そのお母さんのお話を聞いているうちに、あることに気づいたのです。私は娘の看病ができる。娘のそばにいることができる。娘に声をかけることもできる。けれど、このお母さんは、もしかすると看病する時間さえ与えられないかもしれない。そう思った瞬間、物事の見え方が変わりました。娘と私は不幸だと思っていました。けれど、捉え方を変えてみたら、私は今、娘の看病ができる。娘のそばにいることができる。それは決して当たり前ではなく、とても恵まれたことだったのです。同じ出来事でも、捉え方一つで見える景色は変わります。あの日は、私にとってそのことを教えていただいた日でした。後に、その娘さんは帰らぬ人となりました。合掌あの日の出来事は、今も私の心の中に生き続けています。次回は、私が僧侶になる決意を固めた出来事についてお話しいたします。━━━━━━━━━━━━━━━━━━「逆境は好運の始まり」369Hz https://youtu.be/S -oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri━━━━━━━━━━━━━━━━━━結婚相談所 紅絲線(こうしせん) https://www.kousisen.jp/ 堀越瑤盛(ほりこしようせい)━━━━━━━━━━━━━━━━━━
なぜ私が「逆境は好運の始まり」を書いたのかそれは娘の白血病でした。当時の私は、地方議員で地域のために走り回る毎日でした。娘の病気が分かった時、「なぜもっと早く気づいてあげられなかったのか」と、自分を責めました。母親としての無力さを痛感したのです。病院で娘に付き添う日々の中、院内学級の本棚で一冊の絵本に出会いました。それは一休禅師の絵本でした。その瞬間、幼い頃から抱いていた「僧侶になりたい」という夢を思い出しました。そして私は心の中で決意しました。もし、この子の命が尽きることがあったなら、私は供養のために僧侶になろう。そう誓ったのです。その後の骨髄穿刺の検査で、娘は白血病ではないことが分かり退院することができました。複数の病院で「白血病の疑いあり」と告げられていただけに、その結果は奇跡としか思えませんでした。しかし、娘が回復したからといって、私の僧侶になるという決意が揺らぐことはありませんでした。あの日、一休禅師の絵本を手にした時の思いは本物だったからです。次回は、病院で出会った忘れられない出来事についてお話しいたします。━━━━━━━━━━━━━━━━━━「逆境は好運の始まり」369Hz https://youtu.be/S -oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri━━━━━━━━━━━━━━━━━━結婚相談所 紅絲線(こうしせん)堀越瑤盛(ほりこしようせい)━━━━━━━━━━━━━━━━━━
先日、私が作詞・作曲した「逆境は好運の始まり」の歌詞を公開いたしました。すると、「どのような人生経験から生まれた歌なのですか」というお声をいただきました。少し長いお話になりますので、全17回に分けてお伝えいたします。私はこれまで、幼稚園児の時に事件に巻き込まれ、命を落としかけました。大人になってからは、恋人との死別。その後、結婚相談所で出会ったお医者様との結婚を目前にしながら、自ら破談を決断したこともありました。その後、結婚。別居。娘の白血病。離婚。私自身の難病。そして結婚相談所で出会った僧侶の方との再婚。再びの死別。振り返れば、決して平坦な人生ではありませんでした。そのたびに、「なぜ私に、こんなことが起きるのだろう」と思っていました。苦しくて。悲しくて。辛くて。しかし、ある時から問いが変わりました。「なぜ?」ではなく、「何のために」と問い直すようになりました。この出来事は、私に何を気づかせようとしているのか。何を学ばせようとしているのか。そう考えるようになった時、人生の見え方が少しずつ変わり始めました。次回は、私の人生観を大きく変えるきっかけとなった、娘の白血病についてお話しいたします。━━━━━━━━━━━━━━━━━━「逆境は好運の始まり」 https://youtu.be/S -oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri━━━━━━━━━━━━━━━━━━結婚相談所 紅絲線(こうしせん) https://www.kousisen.jp/ 堀越瑤盛(ほりこしようせい)━━━━━━━━━━━━━━━━━━
歌詞「逆境は好運の始まり」作詞:堀越瑤盛(ほりこしようせい)青雲(せいうん)にも雨雲(あまぐも)忍び静穏(せいおん)の海にもうねりあり一期一会(いちごいちえ)の出逢(であ)いの中で人は光と影を知る試練と見ゆる儀(ぎ)の陰(かげ)にも未(いまだ)だ見えざる理(ことわり)ありされば我(われ)は逆境(ぎゃっきょう)訪(おとず)るるたび静かに問う天は今私に何を気づかせたいのか何を学べと導(みちび)かんとしているのか順境(じゅんきょう)に試(ため)され逆境(ぎゃっきょう)に磨(みが)かれ解釈(かいしゃく)ひとつで幸(さち)へと変わる過去と未来に心を奪(うば)われて今という刻(とき)を生きて いなかった幸(さち)の芽を育(はぐく)む者(もの)は逆境の中にこそ光を見出す逆境は好(幸)運の始まり────────────闇路(やみじ)の果てに明星(みょうじょう)輝く土の奥深く芽吹(めぶ)く命(いのち)あり生老病死(しょうろうびょうし)は誰もがたどるみち亡き人(ひと)の靈(たましい)は今もなお息づいている試練のたびに「なぜ?」と問わず「何のために?」そう問い直してみる浄化(じょうか)の雨静かに止みゆき鐘鼓(しょうこ)の音色(ねいろ)が山々へと静かに響(ひび)き深山(みやま)より木霊(こだま)の返歌(かえし)あり身(しん)・口(く)・意(い)をそっと潤(うるお)しながら過去でも未来でもなくただ中今(なかいま)を生きよ試練(しれん)は天(てん)より賜(たまわ)る学び逆境は好(幸)運の始まり亥(い)の刻(とき)に開枕(かいちん)し卯(う)の刻(とき)に開静(かいじょう)すれば健(すこ)やかなる身(しん)・口(く)・意(い)整う弥栄(いやさか)━━━━━━━━━━━━━━━━━━「逆境は好運の始まり」369Hz https://youtu.be/S -oWP4GZ8wA?si=EsblxVvgQs9yVfri━━━━━━━━━━━━━━━━━━結婚相談所紅絲線(こうしせん) https://www.kousisen.jp/ 堀越瑤盛(ほりこしようせい)━━━━━━━━━━━━━━━━━━
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