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お見合や交際のご報告を拝見すると、ストレスを抱えていらしゃったり、少し元気をなくしていらっしゃるようだ、と感じることが多々あります。報告で拝見する会話の内容からもうかがえますし、お見合いやデート中の対応や対処などからも推測されます。私は、人はもともとストレスを作り出すように育てられている、と思っています。なぜならば、人は成長とともに快、不快の情緒を分化させ、分化させた快、不快の情緒を幼少期から刺激されて育つからです。社会的に好ましいとされる行動は、快の感情を刺激することによって好ましい行動を取るように考え方や行動をしつけれられます。社会的に好ましくないとされる行動は、叱られたり懲罰を与えるなど不快な感情を刺激し、好ましくない行動をとらないように、考え方や行動をしつけれられます。好ましくないとされる行動が、叱ったり懲罰を与えたりする側に怒りを生じさせ、その怒りを好ましくない行動をとった本人にぶつけることもあるでしょう。当然叱られ懲罰を受けた側はその怒りを感知します。その怒りは恐怖を生むかもしれません。これらの結果、人は、常に出来事に対して情緒(快・不快)を発生させ、その情緒(快・不快)を参照して(影響されて)考え、判断し行動するという性向を養うことになります。このような性向が養われると、快を得ること(=脳の報酬系が働き報酬を得ること)は良いことという性向が支配的になり、人は快を得るために、脳の報酬系から報酬を得ようとして欲求=不充足を作り出し、その欲求=不充足を満たすことで脳から報酬(快感物質)を得ようとします。欲求=不充足がその人の行動によって充足できるものであれば、問題はありませんが、なかなかうまくゆかないと、人は様々に考える(想像する)能力がありますから、いろいろなことを考えます。自分の欲求をめぐって、うまくいく、うまくいかない等と、いろいろと考えることは、感情を激しく刺激します。結果として、人は、感情を酷使し心理的身体的に疲弊しやすい心の使い方をしている、と考えてよいようです。K.M.B.ブリッジェスさんの乳幼児の情緒の発達(情緒の分化)による理論によると、新生児には興奮しかなく、生後3か月位から快と不快の情緒が分化し、快と不快から私たちが感じる情緒に分化してゆくそうですから、感情への刺激は、情緒の分化を促すとともに、分化された情緒を利用して行う社会に適合するための訓練ともとらえられます。新生児の情緒は興奮しかなく、生後3か月位から快と不快の情緒が分化し、空腹や満腹などの刺激から次第に親の顔などの人的刺激にも反応するようになるそうです。一般に、不快の感情の方が早く分化するするそうです。情緒はだいたい2歳ころまでに著しい分化を遂げ、恐れ、嫌悪、怒り、嫉妬、快、不快、喜びなど基本的な情緒が出そろい、さらに分化を重ねて、およそ5歳頃に成人に見られる情緒が一通り出そろうと言われているそうです(創元社 杉田峰康先生「新しい交流分析の実際」より)。養育者や周囲の大人が好ましいと考える子どもの発言や行動には、褒めることや何か褒美をあげるなどして、子どもの発言や行動を是認し、子どもに快を感じさせることにより、養育者や周囲の大人が好ましいと考える子どもの発言や行動を促進させるでしょう。逆に、養育者や周囲の大人が好ましくないと考える子どもの発言や行動には、叱ったり懲罰を与えたりすることによって、子どもに不快感や恐怖を感じさせることで、養育者や周囲の大人が好ましくないと考える子どもの発言や行動を制限しようとするでしょう。快の刺激を与えて行動を促進し、不快な刺激を与えて行動を制止されるのですから、快を求めて行動し、不快を避けて行動するようになるのは当然といえるでしょう。叱られたり懲罰を受けたときに、子どもは拒絶感や自分という存在が承認されていないという感覚を持つかもしれません。親や教師はあなたの行動を好ましくないものとして叱り懲罰を与えたのかもしれませんが、子どもがどのように感じるかということは、親も教師もコントロールできませんから、拒絶感や自分という存在が承認されていないという感覚を持つことは十分にあり得ます。もし、拒絶感や自分という存在が承認されていないという強烈な感覚を体験した場合には、その体験とその時にもった感情は記憶され、成人後も本人が意識しないままその感情は再現されその人を苦しめるでしょう。早期不適合スキーマです。早期不適合スキーマがある場合には、「本人が意識しないままその感情は再現されその人を苦しめる」ことから逃れるために、何かべつのことを求め(欲求を作り出し)それに執着し、依存という状態を作り出すかもしれません。依存とまではゆかずとも、なんとなく感じる不安や空しさから逃れるために、何かに没頭しようとする、ということは比較的多くの方が体験することかもしれません。なんとなく感じる不安や空しさから逃れるために、何かに没頭しようとする行為は、没頭するという欲求とその充足によって、脳の報酬系からの報酬を得るための、人間の工夫であるかもしれません。不快から逃れるために一生懸命快を作り出そうとして、快の獲得に失敗して不快になるのであれば、感情の奴隷とも例えられる状態と言ってもいいかもしれません。マインドフルネス認知療法原著第二版(北大路書房)には、このような記載があります。「暗黙の情動の手がかりについての研究[85]によって私たちはほとんどの時間で、快適か、不快か、どちらでもないかに基づいて、入ってきた刺激に反応していることがわかっている。これは、そこを境にして心が物事を変えたいと思い始めたり、思考の流れに迷い込んだり、反すうの引き金となるポイントであり(中略)このような瞬間にマインドフルな気付きを活用すれば、などの余計な思考を付け加えずに、瞬間をあるがままにただ経験し、評価することができる。」[85]FriedmanRS,FosterJ.Implicitaffectivecuesandattentionaltuning:Anintergrativereview.PsychologicalBulletin2010;136:875-893人の心に何気なく起こる「ずっと続けばいいと願う、あるいはなぜもっと頻繁に起こらないのか知りたい」と感じること(釈迦の認知論では「想」が生じること)について釈迦は次のように説いています。「〈苦しみのすぐれた真理とはなにか。それは(中略)歓喜と愛欲をともない、ここかしこで歓楽するような愛執である。」「心の対象への愛執はこの世の中における、好ましいもの、楽しいものである。そこから愛執が生じ、そこで〔愛執〕が留まっているのである。」(大念処経 春秋社 原始仏典第二巻所収)うつの「反すう」は「そこで〔愛執〕が留まっている」ことの典型と言えるように思います。自分を苦しめる「反すう」であっても、自らが十分に把握できていない自分を脅かす不安から逃れるために、「反すう」が「心の対象への愛執」になってしまっているからこそ、「反すう」が止められないのでしょう。そのように考えると、「自らが十分に把握できていない自分を脅かす不安」を生み出すものとしてのスキーマに注目し、スキーマへの働きかけを行うスキーマ療法が生まれて来たことも必然であるように思います。六六経で、釈迦は愛執への対処の在り方を次のように説いてます。「思考されるものを『これはわたしのものではない、〔これはわたしではない、これはわたしの自我ではない』と)みなすことである。思考的認識を『これはわたしのものではない、〔これはわたしではない、これはわたしの自我ではない』と)みなすことである。」(六六経 春秋社 原始仏典第七巻所収)マインドフルネス認知療法では表現は異なりますが「思考は事実ではない」という心理的態度の習得を目指します。また、六六経において、釈迦は、快適(楽)、不快(苦)、どちらでもない(不苦不楽)、という三種類の感受を説いて、それらに執着して行為することから苦悩の原因が蓄積すると説いています。「感受には、楽の感受・苦の感受・苦でも楽でもない感受がある。楽の感受を受けているときに、人が、喜び、歓喜し、それに執着し続けるなら、かれのなかに執着する性向(貪随眠)が潜在する。また、苦の感受を受けているときに、人が、憂い、悲しみ、嘆き、胸をうって泣き、迷妄におちいるなら、かれのなかに怒りうらむ性向(瞋恚随眠)が潜在する。また、苦でも楽でもない感受を受けているときに、人が、その感受の生起と滅没、その感受の楽しさと危険性、その感受からの遠離、それらをあるがままに知ることがないなら、かれのなかに愚かさという性向(無明随眠)が潜在する。」(前記六六経)釈迦が説く「苦でも楽でもない感受」をブリッジェスさんのいう「興奮」、FriedmanRS,FosterJ.さんが言う「どちらでもない」ととらえ、それを、我を忘れて何かに没頭し自分が何をしているか知らない状態(ヴィパッサナー瞑想により気付き滅されるべき状態)、と考えると「無明随眠」の理解が進みます。マインドフルネス認知療法原著第二版の心のはたらきの記述と、六六経で釈迦が説くところの心のはたらきは、かなりの部分相似です。そもそも「マインドフルネス」が、阿含経の中で釈迦が瞑想について説いた中の「sati」(注意の集中とそれによってもたらされる気付き)に当てた言葉なので、マインドフルネスの効果もしくはマインドフルネスによって到達するところが、釈迦の説いたところに類似するのは当然と言えば当然です。人は快適なものを無意識のうちにもとめ、不快なものを嫌い回避したいという性向を刺激され(そのようにしつけられて)育てられているわけですから、快適だと自分感じ自分が求めていることを得られず、得られる見込みもないと考えて落ち込んだり、そのことを言葉(認知行動療法の非機能的な自動思考など)にしたり、不快で嫌いなものから避けられないと考えて、そのような考え方を否定できる材料が見つけ得ることができず、自ら環境を変える力がないと考え、嘆くならば、怒りや絶望感を強化して、そして時に終局感を味合うことになります。そしてこれらの過程に対して、多くの場合人は無自覚です。無自覚ゆえに苦悩に対処できず、ますます無自覚に苦悩を増幅させてしまう、ということになります。人は「無自覚ゆえに苦悩に対処できず、ますます無自覚に苦悩を増幅させてしまう」と考えるならば、2016年発行の世界精神保健調査(WorldMentalHealthSurvey;WMHS)において、日本の精神疾患の生涯有病率が20.3%と報告されていること(EpidemiolPsychiatrSci2016;25:217-229)は、もっともなことだと納得がゆきます。釈迦の方法論は、簡略化していえば、注意の集中により観察力を高め、自己の体に生じた感覚、心の状態を観る集中力を観察力を養いつつ、自己の体に生じた感覚、心の状態を観察し、釈迦の説いた「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」を自らの心を対象として実証し自覚し、心に生じる欲求と苦悩を知り、苦悩を無くすことを知り、苦悩を無くすことを実践する、というものです。認知療法やスキーマ療法は、臨床研究から認知モデルやスキーマ概念によって生み出された認知モデルやスキーマという概念によって、人の心が苦悩を生み出すプロセスと原因を説明し、認知やスキーマの修正に取り組みます。釈迦の方法論でもスキーマは対象とされているように思います。大念処経に「五つの蓋についての事象の観察」という説法があります。瞑想の進展を妨げ智慧の発現に「蓋」をするものがあり、それらを取り除けば瞑想が進み智慧が発現するという考えから、貪り、瞋恚(怒り)、掉挙悪作、惛沈睡眠、疑い、を「五つの蓋」「五蓋(ごがい)」と言います。五蓋について詳しい説明はここでは致しませんが、例えば「瞋恚(怒り)」の観察について釈迦は次のように説いています。「あるいは内に怒りがあるときに、『わたしの内には怒りがある』と知り、内に怒りがないときに、『わたしの内には怒りがない』と知るのである。また、いまだ生じていない怒りが生じるままにそれを知り、すでに生じている怒りが滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた怒りが未来に生じることがないと知るのである。」(大念処経 春秋社 原始仏典第二巻所収)この方法論は、瞋恚(怒り)の発生を、「根底にあるスキーマ」 ⇒ 「外界からの刺激によってスキーマが活性化」 ⇒ 「スキーマが非機能的な自動思考を誘発」 ⇒ 「非機能的な自動思考から怒りが生じる」というプロセスを自覚することによって、スキーマを修正し、非機能的な自動思考を修正もしくは除去し、「すでに生じている怒りが滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた怒りが未来に生じることがないと知るのである。」という結果を招来すると説明せざるを得ません。当然、釈迦の説いた瞋恚(怒り)の発生と瞋恚(怒り)を滅ぼすプロセス、方法は、「色受想行識」の五蘊や「止・観」のはたらきや「四正勤」という方法論によって説明できます。釈迦の方法論も認知療法もスキーマ療法も、対象は苦悩する体と心の救済であり、釈迦は注意の集中と体と心の観察で苦悩の発生源にたどり着き、認知療法やスキーマ療法は臨床研究から認知モデルやスキーマ概念によって苦悩の発生を説明しますから、方法は違っても対象とするものは苦悩の発生と苦悩からの救済と言えますから、釈迦の方法論も認知療法もスキーマ療法も同じものとは言えないものの、行き着く先はは同じところを目指している、とはいってもよいでしょう。人は快不快の情緒を刺激されて育てられ、それゆえ快を求めて欲求を生みだし、欲求が充足されなければ苦悩が生まれ、不快なものから逃れられないと考えればこれまた苦悩が生まれますから、そもそもストレス感じるように育てられている、と考えてよさそうです。人は快不快の情緒を刺激されて育てられ、それゆえ快を求めて欲求を生みだし、欲求が充足できなければ苦悩が生まれ、不快なものから逃れられないと考えれればこれまた苦悩が生まれますから、そもそも人はストレスを感じる、苦悩するように育てられているのだと仮定すると、釈迦の説く悟りや解脱の意味するところがおぼろげながら理解できそうです。それゆえ、一時的なリラクセーション体験では効果は限定的ということになり、人がストレスを感じる(生む)メカニズムを知りそれを抑制もしくは弱体化する「高度なリラクセーション」であれば、ストレス対処についての持続的な効果が認められるだろう、ということになります。ヴィパッサナー瞑想は、『感情を酷使し心理的身体的に疲弊しやすい心の使い方をしている』在り方を改変する、と考えてもらってよいと思います。ヴィパッサナー瞑想によって、4-1 体の動きの観察(注意の集中)を行い、4-2 釈迦の説いた法=「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」を通して自分の体の感受の観察、自分の心の観察を行うと、4-3 体に感受(楽、苦、不苦不楽の3つ)が生じてているとき、思考・概念である「想」(≒認知行動療法の自動思考)が生まれており、「想」が「行」≒意図・衝動・意欲が起こっていることが観察できるようになり、4-4 「想」と「行」を、瞑想中において止滅することができると「軽安覚支」の状態に至ることができます。4-5 軽安覚支は、『喜んでいる人は身体も安らぎ、心も安らぐ』(春秋社 原始仏典第7巻 治意経」)と説明されている「高度なリラクセーション状」です。仏典からの引用は、あくまでもストレス対処のための、瞑想による「高度なリラクセーション状態」の実現が目的ですので、仏教を推奨する意図、修行を推奨する意図はありませんのでご安心ください。「高度なリラクセーション状態」と言っているのは、下記の通り注意集中により、体の状態をモニタリングし、モニタリングした状況を基にリラクゼーション状態を意図的に作出することができるからです。4-6 集中力と注意力をともなった脳の覚醒状態のもとで実現される『喜んでいる人は身体も安らぎ、心も安らぐ』状態であるから。4-7 『喜んでいる人は身体も安らぎ、心も安らぐ』状態になると、思考が生じること(想)によって感情が生起(行)し、感情の生起によって、体に微細な緊張が生じる(受)ことを覚知できるようになりますから、日常的生活で緊張状態を敏感に感じ取り、緊張状態を意識的に緩和することに道を開くことになります。4-8 「軽安覚支」に至ると、 『身体が安らいで幸せな人の心は集中する。』(定覚支、同上治意経)という次のステージへ移行することができ、精神集中により「尋」と「伺」という、ヴィパッサナー瞑想特有の観察と考察があらわれます。4-9 「尋」と「伺」があらわれると、色、受、想、行、識によって自分自身に生起する悩み苦しみのプロセス、原因と誘因を認知することができ、それへの対処方法が明らかになります。この状態に至ると、高度なリラクセーション状態のなかで、自らが自らの心を診断し、自らのもつ非機能的な中核信念や早期不適合スキーマなどが、心が平静になることを妨げている原因(欲求=欠乏感・飢餓感)であることが認識できます。4-10 認識できたものは除去、修正することができます。除去・修正は瞑想の原理に基づきますが、別のステージになります。4-11 ただし、上記のプロセスは、一時的な苦脳の深まりや、身体への負担の増加(体調の悪化等)を招くことがあります。癒しを感じ続けられるとか苦悩がどんどんなくなる、といったイメージは抱かない方が良いでしょう。苦悩を無くすには苦悩の生起のプロセス、苦悩の原因と誘因を知ってそれらを無くす必要があります。苦悩が深ければ深ければ深いほど、苦悩の生起のプロセス、苦悩の原因と誘因を知ることは、心にも体にも一時的な負担の増加をもたらします。4-12 その観点からも「軽安覚支」が重要であるように思います。軽安覚支は、自らの苦悩の生起のプロセス、苦悩の原因と誘因を知ることによっても、喜びと安らぎによって「心が挫けない」状態と理解してください。4-13 自らのもつ非機能的な中核信念や早期不適合スキーマが修正もしくは除去できれば、外的な刺激によって非機能的な中核信念や早期不適合スキーマが刺激され、自らを苦しめる思考と感情を生成することがなくなり、身体と心の喜びと安らぎが妨げられることもなくなります。4-14 上記4-8および4-9の状態は、「高度なリラクセーション状態」から一歩進んだ「自己治癒」「セルフ・ヒーリング」のステージであると言えるでしょう。ちなみに治意経は、出入息観、つまりマインドフルネスでも取り組む「呼吸の瞑想」の方法について説いたものです。「釈迦入滅後に発展した仏教の教学」から阿含経を読むのではなく、心理療法の方法論を念頭におきながら阿含経を読むならば、ヴィパッサナー瞑想は、「自己治癒」の方法論であると解釈できます。認知行動療法やその発展形であるスキーマ療法等の方法論などを念頭に阿含経を読むと、ヴィパッサナー瞑想そのものが、これら心理療法が対象とする、生育過程もしくは過去の経験により形成された感情や概念的理解が、記憶される保持されて続けることにより、現在においても反復継続的にもたらされる心理的な「つらさ」を、高度なリラクセーション状態のなかで、瞑想による集中力と注意力をもって自らが把握し、心理的な困難をもたらす原因を除去(遠離というようです)することで癒してゆく方法論であるとの理解が成り立ちます。釈迦が阿含経で説いた、一般的に「法」と呼称される内容は、釈迦が到達した、「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」であるように思われます。ヴィパッサナー瞑想を「自己治癒の方法≒心理療法」ととらえると、釈迦が説いたとされる「法」は、心理療法に先立って行われる「心理教育」に該当します。セラピスト(心理療法者)を「援助職」ということがあります。セラピー(心理療法)に主体的に取り組むのはクライエントであり、セラピストは、あくまでもクライエントの援助者(心理教育の実施もその役割の一つ)にすぎない、そのようなセラピーの態勢が実現できなければセラピーの効果は期待できない、という考えから、セラピストを援助職と呼ぶようです。阿含経の中で釈迦は以下のように説いています。「自己を洲とし、自己を依処として、他人を依処とすることなく、法を洲とし、法を依処として、他を依処とすることなく住するがよい。」(筑摩書房 増谷文雄先生 原始仏典第三巻「2病」)私には、釈迦が説かれていることは、自らの意志と法を頼りに、自らが主体となって、自らのつらさや苦しみを取り除き自らの人生を歩みなさい、ということであるように感じます。釈迦の生きた時代は、現在とは大きく異なる「神話的世界観」、言い換えれば、自らの意志によらず再生を含めた生死などが決まってゆく、という思考が支配的であったようです。そのような時代にあって、「再生への欲望を断つならば、再び生まれ変わって苦しむことは無くなる」という、自らの意志によって再生への欲望を断つことにより「神話的世界観」に依存した思考・行為・生き方を打破し、自らの主体的選択により、来世ではなく今ある生をより良いものとして生きる方法を説いた、というのが釈迦の方法論であろうと考えています。現代において釈迦の生きた時代と同様の「神話的世界観」を抱いている方は多くはないないのでしょうが、それでも「自分がなぜそのように考えるのか感じるのか」ということを突き詰めることもなく明確に自覚することもなく、過去に経験した感情や概念の記憶を(無意識的に)参照して日々考え、感感情を生成し行為している、ということは釈迦の時代とあまり変わらないように思います。そこに現代においてもヴィパッサナー瞑想に取り組む価値があるでしょうし、マインドフルネスが心理療法に取り入れられている理由があるように思います。釈迦の方法論は、自分自身と、釈迦の説いた「法」=「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」を拠りどころとして行う「自己救済=自己治癒」のための方法であると考えても、あながち的外れではないと思います。「法」を「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」を説明した心理教育ととらえれば、釈迦は、自らをよりどころとして、釈迦が説いた「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」=「心理教育」をよりどころとして、自己治癒に励みなさい、と言っていることになります。釈迦の方法論は、大乗仏教とは異なり、救済者としての仏は説かれておらず、自分のつらさや苦しみは自分で癒す、という立場です。ヴィパッサナー瞑想が、自己治癒の方法であるとの前提にたち、『悟りに至る七つの支分』を援用します。ただし、悟りに至ることを推奨する意図はありません。苦悩は、人の体と心を疲弊させます。体と心が疲弊した状態とは、いわゆるストレス状態です。体と心を疲弊させないためには、苦悩の生じるメカニズムを理解して、苦悩を生じなくさせる、もしくは苦悩が生じても体と心が過剰に反応しない状態を作る必要があります。マインドフルネス認知療法(MBCT)において目指す「思考は事実ではない」という心理的な態度の養成は、苦悩を生む思考が生じても、「思考は事実ではない」という心理的態度を養うことで、「体と心がネガティブな思考に反応しないようにする」ことによって、体と心を疲弊させないための取り組みであると考えています。苦悩が生じるメカニズムを知るためには、仏教で「智慧」と言われる観察眼である(と思われる)「尋」と「伺」を発現させる必要があります。人は好きなことは接近し手に入れたい(執着)、不快なこと(嫌いなこと)には怒りや恐怖を覚え回避したい(見たくない考えたくない)という性向があります。それゆえ人の思考は、通常、好きなことには執着したい、不快なこと(嫌いなこと)には怒りや恐怖を覚え回避したいという感情に大きく影響されると考えられますが、「尋」と「伺」は、これらの感情に影響されない考察であり、それゆえ物事をありのままにとらえること、いわゆる如実知見が実現すると考えられます。よりわかりやすい言い方をすると、好きなことに引きずられることなく、嫌なことを回避しようとすることなく、過去の恐怖体験におびえることなく、自らの心の在り方、思考過程を観ることができれば、それは物事をありのままに観る、ということですよね、ということになろかと思います。念身経というお経は、「身体にむけた注意」と日本語訳されていますが、「身体にむけた注意」を養成すると10の利益があると釈迦は説いており、その第一は、「好き嫌いを克服できるようになる」であり、第二の利益は「恐れと怖じ気を克服できるるようになる」です。ちなみに、10の利益の第三番目に挙げられている、「身体に生じる苦しい、はげしい、ひどい、つらい、嫌な、不快な、死にそうな感覚をこらえられるようになる」は、J.カバットジンさんが、慢性疼痛患者に対して、マインドフルネスストレス低減法(MBSR)により、現代において提供している利益です。4番目になって「現世で気持ちよく過ごすことのできる、雑念を離れてすっきりした四つの禅定を、思うままに得、難なく得、苦労なく得られるようになる。」とされています。(春秋社 原始仏典第七巻 所収「念身経」より)「四つの禅定」を悟りとするならば、悟りの状態に至る前に、好きなことには執着したい、不快なこと(嫌いなこと)には怒りや恐怖を覚え回避したいという性向を無くすることができて、あなたはより自由になることができます、さらに瞑想を重ねてゆけば4つの禅定に自由に出入りできるようにだってなりますよ、ということになります。『悟りに至る七つの支分』に基づいてヴィパッサナー瞑想を実践することにより、悟りに至らずとも、自己治癒のためのツールである「尋」と「伺」を発現させることできると考えてよいと思います。軽安覚支は、『悟りに至る七つの支分』、言い換えれば悟りに到達するために養うべき7つの要素(もしくは到達すべき段階)のうち、5番目の状態です。目的は、「ストレス低減のための高度なリラクセーション状態の実現」であって、悟りを目指すわけではないので、七覚支のうち6-1から6-5を行って「高度なリラクセーション状態の実現」を目指します。しかしながら、6-5『安らぎという悟りの支分』(軽安覚支)によって『喜んでいる人は身体も安らぎ、心も安らぐ。』状態を作ることによって、『身体が安らいで幸せな人の心は集中する』こととなり、『身体が安らいで幸せな人の心は集中する』ことによって、6-6『精神集中という悟りの支分』(定覚支)に至るとされていますから、6-5『安らぎという悟りの支分』(軽安覚支)至った場合には、すでに養っている集中力が高まり、6-6『精神集中という悟りの支分』(定覚支)に至ることが可能になります。経験からも軽安覚支にいたると、心の状態を観ること、集中力を意図的に高める事が可能になり、集中力を高めることによって「尋」と「伺」を起動させることが可能になるようです。6-1 『注意力という悟りの支分』(念覚支)6-2 『物事の解明という悟りの支分』(択法覚支)6-3 『努力という悟りの支分』(精進覚支)6-4 『喜びという悟りの支分』(喜覚支)6-5 『安らぎという悟りの支分』(軽安覚支)6-6 『精神集中という悟りの支分』(定覚支)6-7 『平静という悟りの支分』(捨覚支)(春秋社 原始仏典第7巻 治意経」より) 『物事の解明という悟りの支分』(択法覚支)の「物事の解明」は、仏教では「法」といわれているものようですが、内容は実質的には「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」と考えてください。「法」として説かれる、例えば五蘊や五蓋、六外処、六内処などはいずれも認知に関わる内容です。「物事の解明」とは「自分の体と心のはたらきと認知のしくみ」の解明と考えてくださって結構です。釈迦の考え方は、人とは、外界(六外処=認識対象)を身体器官と感覚(六内処)を通じて認知する機能であり、認知する機能を自覚していないから、自覚せずに認知した外界の認知や意識が、外界の認知だけにとどまらずに、つらさ(という認知)を生んだり苦悩(という認知)を生み出し、体にも苦を生ずる、というものであったように考えています。体に苦が生じる(苦の感受)という釈迦が到達した認知は、苦の感受を自覚しないと、やがて身心の活力を失いそれ自体が苦そのものになる、と考えるならば、うつによって行動のエネルギーが失われ行動が停滞するという症状を想起させます。釈迦はこのように説いています。「比丘たちよ、なにおか一切とするのであろうか。それは、眼と色(物体)とである。耳と声とである。鼻と香りとである。舌と味とである。身と触(感触)とである。意と法(観念)である。比丘たちよ、これらをなずけて一切というのである。」(筑摩書房 阿含経典第三巻 増谷文先生、南伝 相応部経典 三十五 二十三 一切、漢訳 雑阿含 十三 十七 生聞一切)眼、耳、鼻、舌、身、意を六内処といい、色(物体)、声(音)、香り、味、触、法を六外処といいます。「法」とは、釈迦が到達した法則性広範性のある「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」ととらえ、人は外界の出来事=六外処を、感覚器官とその感覚=六内処によってしか把握できず、六内処を通じて把握された六外処が認知を形成する、と考えれば現代のA.T.ベックの認知療法やエリスの理性行動感情療法などの認知論的アプローチと、根本的には同じです。認知論アプローチとしての共通性があるがゆえに、J.ティーズデールさん、M.ウィリアムズさん、Z.シーガルさんたちは、仏教瞑想を源流とするマインドフルネスに、認知療法を統合できたのでしょう。「軽安覚支」は、人が喜びを感じる下記の『脳の報酬系の刺激』による報酬獲得とは異なる方法によって、『喜んでいる人は身体も安らぎ、心も安らぐ』という状態(前記治意経)状態を実現すると考えています。脳の報酬系の働きと五蘊(色受想行識)7-1 「不充足の認知=欲求の発生」➡想、場合によって苦の感受の発生7-2 「不充足解消への意欲と行為」➡行7-3 「不充足解消の認知」➡識、不苦不楽の認知の発生7-4 「満足=報酬系による報酬獲得」➡楽の感受の発生「満足=脳の報酬系からの報酬獲得」は、釈迦が六六経で説く「楽の感受を受けているときに、人が、喜び歓喜しそれに執着し続けるなら、かれのなかに執着する性向(貪随眠)が潜在する。」傾向を強めるのではないかかと考えています。(六六経 春秋社 原始仏典第七巻所収)この考察は、釈迦が「報酬系の刺激(欲求の発生と充足)による報酬獲得」という脳の機能を野放図に容認せずに、制限、抑制すれば、欲求の発生を抑制できて、求不得苦につながる欲求=「求めても、そもそも充足できない欲求を持ち続けて、欲求が充足されないことに苦しむこと」はなくなるよね、と認識していたからであるように思います。ここにおいても釈迦の生きた時代の人々が、「神話的世界観」すなわち、自己に意志によってコントロールできない再生について、宗教的な儀式などを通じて「願う」という行為を通じて「欲求」を充足させていた可能性があること、現代とは少し事情が違うことは考えておいてもよいと思います。その一方で、2600年前の人々であっても現代の人々の間であっても、釈迦の説く「法」=「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」に大きな変化はないように思います。「高度なリラクセーション状態」とは、『脳の報酬系の刺激』による報酬獲得とは異なる以下の方法、7-5 観察と集中によって、瞑想中において、7-1 「不充足の認知=欲求の発生」と、7-2 「不充足解消への意欲と行為」を止滅することで、7-6 体に生じる微細な緊張、心に生じる欠乏感・飢餓感を止滅し、脳の機能の発揮そのものによる「体と心の快」(喜びと安楽の状態)を実現すると考えていただいてよいと思います。「軽安覚支」に至る過程で、想と行を瞑想において止滅することにより『脳の報酬系の刺激』による報酬獲得を弱めることとなり、『脳の報酬系の刺激』を抑えることによって、釈迦が念身経で説いている、好き嫌いがなくなる、恐怖を克服できるようになる、という効果をもたらすようです。6-5『安らぎという悟りの支分』(軽安覚支)に到達した段階では、好き嫌いがなくなる、恐怖を克服できるようになっており、その状態において集中力を高める6-6『精神集中という悟りの支分』(定覚支)の状態になることで、好き嫌い、恐怖や不安といった感情を離れた観察眼、考察である「尋」と「伺」が実現すると理解してよいと思います。これが瞑想の第一段階(初禅)とされるようです。方法論としては、マインドフルネスストレス低減法を創始した、J.カバットジンさんの説明が参考になります。『「マインドフルネス瞑想法」とは"注意集中力"を高めるためのトレーニングを体系的に組み立てたものです。』(マインドフルネスストレス低減法 北大路書房)ただし、ヴィパッサナー瞑想の主要な機序(メカニズム)は、8-1 釈迦の説いた「法」=(私の理解では)「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」を学び、「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」を参照して自分の体の感覚と心の状態を観察し続けることによって、「尋」と「伺」を潜在的に養ってゆき、8-2 観察対象への注意集中により、感情そのものと感情の主体である「わたし」という意識を希薄化することによって、好悪の感情や恐怖を弱体化する。注意集中力について解説すると、注意:対象に意識を向けてよく観ること(観察すること)、よく観ることによってそこにあること、生じた変化に気付くこと自覚すること集中力:注意を持続する能力を高めること、より微細な変化に気付く能力、知る能力を養うこと上記の注意と集中力が、マインドフルネス(mindfuiness)の意味する内容であり、パーリ語の原語である「sati」が示す内容と考えてよいと思います。パーリ語は、アルボムッレ・スマナサーラ先生によれば「行為」を現す言語だそうですから、「sati」は、「注意する、集中するという行為」から、「注意する、集中するという行為」によってもたらされる「より微細な変化に気付く能力、知る能力を養うこと」という効果までを視野に入れた概念ととらえた方が瞑想を行う際には、より適合的であるように思います。ちなみに日本では「sati」を、漢訳の「念」として受容し、「心を一点にとどめて決意することを「念」(sati.SKt.smrti)という。」としています(rの下には.が付きます。春秋社 原始仏典第二巻 大念処経の註より)。それゆえ、5-1 『注意力という悟りの支分』(念覚支)は、注意力を育成するため、心を一点にとどめる行為を行うことととらえ「念覚支」と漢訳されたのでしょう。前記大念所経で釈迦は、8-3 「正しい念とは、いったいなにか」として、『身体』、『感受』、『こころ』、『もろもろの事象』を『観察し、熱心に、正しく自覚し、よく気をつけて貪欲や憂いを除去すべきである。』と説いています。これらの行為を「正しい念」としています。8-4 初禅に至る道筋、初禅から第二禅に至る道筋、第二禅から第三禅に至る道筋、第三禅から第四禅にいたる道筋を説明し、「これが(中略)、正しい念と言われるのである。」と説いています。瞑想の境地を進める心の使い方を「正しい念」としています。「もろもろの事象」とはすでにお話した通り、私の理解では「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」です。「貪欲」とは「脳の報酬系を衝動的に刺激すること」=「私にはそれがない、それが欲しい=私にはそれが必要だ、それを手に入れよう➡それを手に入れることはわたしにはよいことだ(脳から報酬が与えられる)」という考えと意欲が生じること、ととらえても差し支えないように思います。「衝動的に刺激すること」と説明したのは、釈迦の認知論「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」、では、人の心に生起する感受や欲求はやがて滅没するものだと説明されていることから、没滅することに気付かずに生起した感受によって意欲を刺激して行為し「「脳の報酬系を衝動的に刺激すること」によって、執着する性向(貪随眠)や、手に入らないという認知から怒り嘆くという行為によって怒りうらむ性向(瞋恚随眠)、自覚のない性急な判断を行うことから愚かさという性向(無明随眠)が潜在することになる(春秋社 原始仏典第七巻 六六経)、と解釈できるからです。それゆえ「正しい念」すなわち、「『身体』、『感受』、『こころ』、『もろもろの事象』(=人の体と心のはたらきと認知のしくみ)を『観察し、熱心に、正しく自覚し、よく気をつけ」ることによって、『脳の報酬系』を衝動的に刺激することを抑制できる、と私は理解しています。8-3の「正しい念」は、四念処を行うこと、つまりヴィパッサナー瞑想によって「『身体』、『感受』、『こころ』、『もろもろの事象』(=人の体と心のはたらきと認知のしくみ)を、『観察し、熱心に、正しく自覚し、よく気をつけて貪欲や憂いを除去」すること、ということになります。8-4の「正しい念」は、四念処を実践することにより、「より高度な変化に気付く能力、知る能力を養うこと」によって、より高度な瞑想状態に至り、苦しみの生起とその原因と誘因を知り、原因と誘因をなくすことで快と不快を無くし、「尋」と「伺」を無くし(観察・考察するという意図が生じているから)、苦しみを滅し、喜びを捨て、安楽を捨てて第四禅に至る、ということを指し示していると思われます。ヴィパッサナー瞑想の指導者の方は、「sati」を「気付くこと」「知ること」という意味で使われることがあるようです。「sati」という言葉は、以下の訳文の原典にはないようですが、以下の訳文の「知る」は、「よく観ることによってそこにあること、生じた変化に気付くこと自覚すること」なのではないかと思います。8-5 「あるいは内に怒りがあるときに『私の内には怒りがある』と知り、内に怒りがないときに、『わたしの内には怒りがない』と知るのである。」8-6 「また、いまだ生じていない怒りが生じるままにそれを知り、すでに生じている怒りが滅ぼされるままにそれを知り、すでに滅ぼされた怒りが未来に生じることがないということを知るのである。」(前記大念処経より)ヴィパッサナー瞑想の経験のない方には、何を言っているのかわからないと思いますが、釈迦の説いたところを解説するのはとても気が引けるのですが、あえて解説すれば、8-5について、高まった集中力で心に注意(≒観察)をむけることができるならば、あなたは自分の心に怒りがあるときには怒りがあることに「気付くこと」「自覚すること」ができ、怒りがないときには怒りがないことに「気付くこと」「知ること」ができるだろう。8-6について、高まった集中力で心に注意(≒観察)をむけることができるならば、心に生じていない怒りが生じる原因と誘因に「気付くこと」「自覚すること」ができ、あなたが、怒りが生じる原因と誘因に「気付くこと」「自覚すること」ができれば、すでに生じている怒りを滅ぼすことができることに「気付くこと」「自覚すること」ができ、すでに滅ぼされた怒りが未来に生じることがないということに、あなたは「気付くこと」「自覚すること」ができるだろう。ということになります。このプロセスが、釈迦の方法論の中核ともいえる「四聖諦」であると思います。また、ベックの認知モデルおよびスキーマに関する理解があることが前提とはなりますが、このプロセスは、自分に早期不適合スキーマや非機能的な中核信念があるのであればそれらがあることを、それらが活性化したとき(心理機的危機時)には、非機能的な自動思考を誘発し、気分の低下を招き、怒りなどの苦悩を生起させるということを観察する(気付くこと知ること)が可能になります。ヴィパッサナー瞑想は、心理的危機をも観ますから、釈迦が念身経で説いた第二の利益「恐れと怖じ気を克服できるるようになる」という状態となっていることは極めて重要であると考えられます。心理的危機を観ても恐れも怖じ気も生じないならば、それは心理的危機にはなりません。第一の利益「好き嫌いを克服できるようになる」、第二の利益「恐れと怖じ気を克服できるるようになる」が実現されているからこそ、心理的危機を、恐怖感なく見ることが可能になるのでしょう。ここに好悪や恐怖を離れた観察眼考察眼である「尋」と「伺」を作出することの大きな意味があります。方法論としての「四聖諦」や「気付くこと」「自覚すること」「尋」と「伺」の作出に至るためには、体と心(の状態)を注意深く見守ることのできる注意集中力を養う、6-1 『注意力という悟りの支分』(念覚支)からスタートしますよ、ということになります。ヴィパッサナー瞑想は、観察瞑想とも言われるように、下記のような段階を踏んでゆくことが予定されています。予定されている、というのは、大念処経などを学びヴィパッサナー瞑想を行うと、(順番は前後しても)誰でもこのような段階を昇ってゆくようであると考えられるからです。自分の努力がすべての出発点ですが、努力を継続していると「法に証される」=「釈迦の説くことが理解できるようになる」ということが実現するようです。例えば、私は「喜び」を感じにくい性格であるようで、慈悲の瞑想の原型である四無量心の「慈の瞑想」はできましたが、「喜の瞑想」はうまくできませんでした。ですから「喜覚支」も希薄であったようですが、「軽安覚支」に達して初めて、遅ればせながら「喜覚支」とはこういうもであるようだ、とうっすらと感じることができました。アルボムッレ・スマナサーラ先生によると、テーラワーダでは、新たに出家した修行僧を、どのような瞑想によって解脱に導くのか、ということを師匠が考え、新たに出家した修行僧に最も効果的だろうと考えられる瞑想法を示して指導していたそうです。その時に、新たに出家した修行僧を、3つの大分類による性格と、さらにそれぞれを3つの小分類による性格に分けて考え、最も効果的だろうと考えられる瞑想法を与えるのだそうです。3つの大分類の性格のひとつの瞋性(しんしょう)という性格は、慈悲喜捨と言われる四無量心の瞑想では、喜の瞑想は不適とされているそうです。瞋性は、簡単に言うと、他者との共通点をあまり重視せず、自分独自の考え方を重視する(価値あることとみなす)性格とされているそうです。七覚支の育成もしくは進展の段階9-1 観察(≒注意)によって集中力を高め、6-1『注意力という悟りの支分』(念覚支)を養成することから開始し、9-2 観察によって、6-2『物事の解明という悟りの支分』(択法覚支)を養成し、9-3 「法」による物事の解明=「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」によって自分の体と心に起こっていることを知って理解し、6-3『努力という悟りの支分』(精進覚支)(=自分の体と心のはたらきを解明してゆくという努力)を養成し、9-4 努力することによって、5-4『喜びという悟りの支分』(喜覚支)に到達し、9-5 6-5『安らぎという悟りの支分』(軽安覚支)を実現します。9-6 『身体が安らいでいる人の心は集中する』という6-6『精神集中という悟りの支分』(定覚支)に至り集中力により観察し、9-7 この辺りから「大まかな思考や細かい思考が残っている、遠離から生じる喜びと安楽からなる第一の禅定に達する。」ようです。9-8 さらに大まかな思考細かい思考(尋と伺)を停止し、喜び、安楽、苦しみを除きさって『平静という悟りの支分』(捨覚支)に至る。(春秋社 原始仏典第七巻 治意経 念身経より)瞑想を織物に例えると、身体、感受、心、法(=人の体と心のはたらきと認知のしくみ)を瞑想(考察)対象とする四念処が横糸、七覚支を縦糸として瞑想が進展する説明できます。6-2『物事の解明という悟りの支分』(択法覚支)においては、五蘊、五蓋などの、釈迦が説いた「法」つまり「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」を学び、自己の「体と心のはたらきと認知のしくみ」を解明することを内容とする、6-3『努力という悟りの支分』(精進覚支)を養成してゆくことになります。自己の「体と心のはたらきと認知のしくみ」を理解してゆく過程を通じて、自己に生起する具体的な悩み苦しみについて「気付くこと」「知ること」になります。注意集中力を起点として、以下のようなメカニズムで「尋」と「伺」を育成すると考えられます。9-9 「体と心のはたらきと認知のしくみ」に即して「自己の体と心のはたらきと認知のしくみ」について理解してゆくことで、体と心への注意力(観察力)を養う9-10 瞑想対象に意識を向け続けることで、瞑想において好き嫌いや恐怖を生起させる「想」と「行」を心から排除する訓練を行うことで、好き嫌いや恐怖に影響されない「尋」と「伺」を潜在的に育成する言い換え得れば、好き=執着する、嫌い恐怖=回避する、という性向があったのでは、物事をありのままに考察する「尋」と「伺」は発現しない、ということのようです。10-1 座ってする「呼吸の瞑想」治意経に説かれた出入息観による座ってする「呼吸の瞑想」をメインに行います。「呼吸の瞑想」は、呼吸に伴う体の動きを観察し、体が感じる感受を観察し、心の状態を観察し注意集中力を高め、法の観想=釈迦が説いた「法」言い換えれば「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」を通して、高まった注意集中力で「自分の体と心のはたらきと自分の認知のしくみ」を観察することです。「自分の体と心のはたらきと自分の認知のしくみ」を理解することにより、心のはたらきを観察考察して、自分の気分を下げる考えや自分のやる気を挫く考えがどのように生まれてくるのか、どのようなことを原因として生まれるのかを知ることができ、知ることができれば対処することができます。対処することができれば、高度なリラクセーション状態が実現します。早期不適合スキーマもしくは非機能的な中核信念などが強固である場合には、6-5『安らぎという悟りの支分』(軽安覚支)を完全に実現するのは容易ではないと思います。私の場合は、心がソワソワしてなかなか落ち着かないことの原因は、第一領域の早期不適合スキーマにあったようです。6-5『安らぎという悟りの支分』(軽安覚支)がなかなか実現できないと感じる方は、早期不適合スキーマもしくは非機能的な中核信念があることを予期した方が良いかもしれません。早期不適合スキーマもしくは非機能的な中核信念は、非機能的な自動思考(≒心をざわつかせる「想」)を生み出し続けます。非機能的な自動思考の生成を、釈迦の認知論「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」で説明するならば、五蘊の「想」および「行」の働きによって自分を苦しめる「想」を形成され、それに基づく意図衝動意欲である「行」を生じさせ欲求、執着を生み出し、心の辛さ、苦しみの原因を生み出し続けることになります。釈迦の認知論「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」には、スキーマや中核信念に直接該当する機能もしくは存在には言及されていませんが、識別機能とされる「識」が、識別のために参照する対象としての「識」がスキーマや中核信念を含む記憶とみなしてよいかもしれません。また五蓋の「悪作(おさ)」は後悔とされ、後悔することが瞑想進展の妨げになると教示されています。「悪作(おさ)」、後悔は、過去の自分の行為の記憶(≒「識」、現在においてはどうにもならないこと)から、現在において悔悟の気持ち「想」を生起させることであり、認知行動療法(ベックの認知モデル)の、過去に形成され現在も有効な非機能的な中核信念により、現在において非機能的な自動思考が生成されるというとらえ方は、まったく同一ではないものの、過去の行為や体験により形成された認知が維持され、現在においても自分を苦しめる思考(≒想)を発生させる、というとらえ方は相似型だといえます。ヴィパッサナー瞑想の心随観では、「心のなかで生起してくる現象を観察し、また、心のなかで消滅する現象を観察し、また、心のなかで生起し消滅していく現象を観察するのである。」(大念処経)とありますので、心随観は、心のはたらきとしての想、行、識と、心に生まれ滅してゆく現象としての想、行、識の認知を観察してゆくものと理解するならば、認知行動療法に即して、観察に徹し、非機能的な自動思考が生起したなら、生起したこととその内容を観察するのみで、心を反応させず放っておけばやがて自動思考は消滅してゆく、という説明になります。「心を反応させず放っておけばやがて自動思考は消滅してゆく」という態度を継続することが、自分が生成した自動思考がたとえ非機能的=「自分を苦しめるもの」であったとしても「好ましいもの、楽しいものである。」(大念処経)と認識し愛執を抱いても、「そこでその愛執が捨てられ、そこで〔愛執〕が滅ぼされるのである。」(大念処経)という態度、すなわち苦悩を減少もしくはなくすことにつながる心の在り方を、長期的に養成することにつながるのでしょう。「わたしが感じたこと考えてたこと」について、六六経において説かれる(苦しみを生む考え方である)「『これはわたしのものである、これはわたしである、これはわたしの自我である』とみなすことである。」という状態であるならば、「わたし」という概念への愛執は、「自分が生成した自動思考」がたとえ非機能的=「自分を苦しめるもの」であったとしても、「わたしが感じたこと考えてたこと」への愛執へ、容易に、無意識に転化するでしょう。このことは、なぜ自分を苦しめ、うつの再発につながる反芻を止めることができないのか、ということを考えるときに示唆を与えてくれるように思います。心に生起したことを生起したと知っても、心に過剰な反応をさせない態度は、マインドフルネス認知療法MBCTの、マインドフルネスによって「思考は事実ではない」という心理的態度を養成し、反芻に対して過剰な反応をしない心理的態度を導くという対処方法と軌を一にするものと感じます。ヴィパッサナー瞑想について、ここで大事なことは「観察」とは、心に生起したことを知るけれども、心は反応させない(行≒意図衝動意欲を起こさない)ことであり、観察の対象は2つある、ということではないかと考えます。観察の対象の1つめは非機能的な自動思考≒想が生起したこと、観察対象の2つめは、生起した非機能的な自動思考≒想がどのようなものであったか、ということ。2つ目は、非機能的な自動思考≒想が、感情に関連するものであった場合、身体の不調が感情の抑圧に起因することもありますから、感情は感情として「受け取り」かつ、心を反応させず、感情を受けとってもその感情について考えないで放してゆく、という態度で、怒りであれば怒りであることを「受け取り」(知り)、悲しみであれば悲しみであることを「受け取り」(知り)、欲であればよくであることを「受け取り」(知り)、そして考えないで放っておく(考えるたいという欲を放棄する)ことで、感情が消えてゆくことを知ることになる、ということを釈迦は説いているのではないでしょうか。喩ていえば、意識を水面と見立て、水面を静かに保ち、水面に注意を集中して、水の中から何か(自動思考≒想)が浮かび上がってきたなら、手ですくいあげ、その内容を観た=知ったならば、手から放してそのことについては考えない、というイメージで説明できると思います。ヴィパッサナー瞑想を継続することによって、ヴィパッサナー瞑想の観察する機能により、非機能的な自動思考≒想を、六六経で説かれる「『これはわたしのものではない、〔これはわたしではない、これはわたしの自我ではない〕と』みなすことである。」という認知をもたらすことにつながり、また、大念処経で説かれる、(非機能的な自動思考≒想は)「好ましいもの、楽しいものである。そこでその愛執が捨てられ、そこで〔愛執)が滅ぼされるのである。」が実現される(簡単ではありませんが)と考えられます。このような観察を重ねてゆけば、必然的に自動思考≒想=苦の原因、を生起させる早期不適合スキーマもしくは非機能的な中核信念(釈迦在世時にそのような概念はなかったとしても、幼少時の体験からその後にまで適用される信念を形作るという人の認知のしくみはあったでしょうから)の存在に気付く(sati)可能性も当然あるでしょう。早期不適合スキーマもしくは非機能的な中核信念があるからといって、それによって必然的に日常生活に破綻をきたすわけではありません。むしろ日常生活に破綻をきたさない方の方が多いでしょう。日常生活に破綻をきたさないから、非機能的な自動思考によるつらさは感じながらも、根本的な治癒の必要性を認識することなく、早期不適合スキーマもしくは非機能的な中核信念が温存されたまま時を重ねているという側面もあるのでしょう。※想、行、識は、心の機能であり、同時に心の機能によって生成される認知もしくは心の機能によって参照される認知(記憶)、との理解により上記の文章は作成されています。現在の思考、感情の生成、意思決定などの心のはたらきが、過去の記憶にも影響されるという一体性混在性を考えると、想、行、識を心の機能として見ると同時に、機能により生成される認知そのもの、機能により参照される認知(記憶)と考えても違和感はないように思っています。10-2 「呼吸のエクササイズ」「呼吸の瞑想」を効果的におこなうためには、体と心がリラックスした状態で、ある程度深く長い呼吸ができるようになる必要があるので、呼吸を深く、スムーズに行うための「呼吸のエクササイズ」を行います。ヴィパッサナー瞑想の「呼吸の瞑想」では、「治意経」に説かれる「出入息観」とは少し異なりますが、呼吸に注意を集中させながら体の動きに「ちじみ、ちじみ」「ふくらみ、ふくらみ」と言葉をあてて確認してゆくという方法(ラベリング)があります。「ちぢみ、ちぢみ」「ふくらみ、ふくらみ」は、腹の動きについての言葉での確認ではなく、呼気つまり肺から空気が排出されることにより胸部を中心とした上半身がかすかに縮むこと、吸気により肺に空気が取り込まれることにより胸部を中心とした上半身がかすかに膨らむことを確認するラベリングです。深く長い呼吸ができるようになると、呼吸によって胸部を中心とした上半身がかすかに縮むこと、かすかに膨らむことを容易に認識できるようになります。体がかすかに縮むこと、かすかに膨らむことが実感できる「感受性」=「観察力」=「注意力」を養うことができると、体の感受の観察は容易になり、体の感受の観察が容易になると、自然と心の状態の観察ができるようになります。体の微細な感受の観察ができる状態は、体も心も落ち着き「楽」もしくは「安楽」を感じている状態です。努力から生じる喜びに加えて、体も心も落ち着き「楽」もしくは「安楽」を感じている状態は、「悟りに至るために七つの支分」(七覚支)の「軽安覚支」に該当します逆に言えば、体も心も落ち着かず、努力から生じる喜びが生まれず、「楽」もしくは「安楽」を感じることができない状態では、体の微細な感受の観察は進まず、体の微細な感受の観察が進まなければ、心の観察には進むことはできない、ということのようです。体の微細な感受の観察は、自分の体に「今現在生じていること」を観察することです。自分の体に「今現在生じていること」を、観察できないのは、自分の注意が「今現在生じていること」ではなく「別のこと」に向かっているからです。釈迦は、注意が「今現在生じていること」ではなく「別のこと」に向かい、「別のこと」に執着し愛執をいだくことを、「欲」「欲望」と説いたようです。「欲」「欲望」は、人が五感を通じて認知したこと、意識によって生まれる認知に対して「好ましいもの、楽しいものである。そこで愛執が生じ、そこで〔愛執〕が留まっているのである。」(大念処経)という状態を指します。注意が、「今現在生じていること」ではなく「別のこと」に向かっているのは、「別のこと」に、「好ましいもの、楽しいものである。そこで愛執が生じ、そこで〔愛執〕が留まっているのである。」という状態、ということになります。これが釈迦が到達した心理学=「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」の基礎です。自分の注意を「今現在生じていること」に向かわせることが、瞑想における「注意集中」の本質です。経験から言うと、自分の注意を「今現在生じていること」としての心の状態向にかわせるこことができる感じ始め、「軽安覚支」の状態をこのような感じでなのだろうか、と理解し始めると、集中力を意図的に高めることができるようなり、意図せずとも「尋」と「伺」が発現するようです。集中力を意図的に高めることができるようなると「定覚支」も体験できるようです。10-3 並行して念身経による「歩行の瞑想」を行います。「歩行の瞑想」は、6-1『注意力という悟りの支分』(念覚支)の養成には大きく役立ちますし、6-5『安らぎという悟りの支分』(軽安覚支)を養成するためにも役立ちます。日常生活での、例えば昼休みのウォーキングとして行ことなどが考えられます。通勤時は時間の制約がありますからゆっくりと歩くことの集中するには不適ですし、カバン等を持っていますので、体の微細な感覚を感じ取るには適さないかもしれません。また、腰の筋肉を意識して階段を上ることにも効果があります。座ってする「呼吸の瞑想」は、安定した姿勢を一定時間取り続ける観点から、腰の筋肉の強化が必要となりますので、腰の筋肉を意識して階段を上ることには効果があります。また、腹式呼吸は、腹筋を使い下腹部をへこませる時に、腰および尻の筋肉が腰側から押し返すことによって内臓を圧迫し、肺から空気を押し出す呼吸法であり、腰の筋肉を使用しますので、腰の筋肉を意識した階段上りは、有効です。10-4 釈迦の認知論の学習「呼吸の瞑想」と「歩行の瞑想」によって、自分の体と心のはたらきを的確につかむために、釈迦の認知論=「体と心のはたらきと認知のしくみ」を学び、2つの瞑想の中で考察します。10-5 集中力を養う「慈悲の瞑想」集中力を養う訓練として、「呼吸の瞑想」時に、「慈悲の瞑想」行います。「慈悲の瞑想」は、瞑想文を唱える瞑想であり、瞑想文に注意を集中するために、ヴィパッサナー瞑想(観察瞑想)の冒頭に行うことが推奨されています。瞑想文に集中するということは、「瞑想文を唱える以外の、欲求や意図、衝動に基づく思考を排除する」ということです。日本における「sati」の受容である「念」「心を一点にとどめて決意すること」と言えます。「瞑想文を唱える以外の、欲求や意図、衝動に基づく思考を排除する」ということを通じて、恐怖の情動と関連する偏桃体などの大脳辺縁系の感情的反応という働きを抑制する効果があるようです。10-6 報酬系の抑制「呼吸の瞑想」「歩行の瞑想」「慈悲の瞑想」を通して、瞑想中に起こった衝動や意図、欲求が生起したことを知り(自覚し)、その上で衝動や意図、欲求を放し、心を瞑想対象への注意集中に戻す、ということを繰り返し行います。「瞑想中に起こった衝動や意図、欲求」の多くは「考えたい」もしくは「痒みを掻きたい」というものですが、「これは嫌だ、回避したい(恐れと関連すると思われます)」というものもあるでしょう。これらの「瞑想中に起こった衝動や意図、欲求」を自覚し、放棄することによって、「欠乏感の認識➡欲求充足の衝動意図欲求➡行為➡欲求充足=報酬の獲得(欲求の受容と充足による報酬の獲得)➡欲求の強化」という脳への報酬系の働きを抑える効果がもたらされ、結果として、念身経に説かれる「身体にむけた注意」を確立することの、10の利益の第一番目と第二番目の、好き嫌いを克服できる、恐怖と怖じ気を克服できる、という効果がもたらされると考えられます。『衝動や意図、欲求が生起したことを知り(自覚し)、その上で衝動や意図、欲求を放し、心を瞑想対象への注意集中に戻します』という瞑想で行うことの内容は、すでに引用したマインドフルネス認知療法原著第二版(北大路書房)の下記の記述のうちの下線部分と同内容と考えてよいと思います。「暗黙の情動の手がかりについての研究[85]によって私たちはほとんどの時間で、快適か、不快か、どちらでもないかに基づいて、入ってきた刺激に反応していることがわかっている。これは、そこを境にして心が物事を変えたいと思い始めたり、思考の流れに迷い込んだり、反すうの引き金となるポイントであり(中略)このような瞬間にマインドフルな気付きを活用すれば、ずっと続けばいいと願う、あるいはなぜもっと頻繁に起こらないのか知りたいなどの余計な思考を付け加えずに、瞬間をあるがままにただ経験し、評価することができる。」好き嫌いや恐怖心が無くなれば、物事の見方、考察の仕方、判断から、好き嫌いや恐怖などの感情の影響が排除されます。言い換えれば思考が自由になります。ヴィパッサナー瞑想は、「尋」と「伺」という観察能力、考察能力を起動させるために、心の動きを止め、「尋」と「伺」による観察、考察をおこないますから、マインドフルネスにおける「余計な思考を付け加えずに、瞬間をあるがままにただ経験し、評価する」とは、「尋」と「伺」が発現している状況であるかもしれません。仏教もしくは宗教勧誘の意図はありません。また、私は仏教徒でもありません。仏教徒でもありませんから、ここでお話することは仏教ではありません。阿含経を引用するのは下記の理由からです。ヴィパッサナー瞑想は、釈迦が悟りに至った瞑想とされ、釈迦の説法などを伝える「阿含経」に、その方法論と瞑想の進展状況などが説かれています。また、釈迦が到達した「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」が説かれています。「人の体と心のはたらきと認知のしくみ」を学びながら、ヴィパッサナー瞑想で、自らの体、感覚、心を観察してゆくことで、自らに苦悩、苦痛が発生する過程、原因を知ることができ、苦悩苦痛の発生原因を無くしてゆけば、苦悩苦痛はなくせる、さらに喜びや安楽も手放せば、絶対的な平静世界である悟り、解脱に至る、とされています。つまり、悟り解脱に至らずとも、その手前で苦悩、苦痛はなくすことはでき、さらにその先に行けば悟りにいたる、という構成になっています。それゆえ、マインドフルネスという、ヴィパッサナー瞑想に起源をもつ瞑想法が、苦痛苦悩を除去する方法として、MBSR(マインドフルネスストレス低減法)やMBCT(マインドフルネス認知療法)に取り入れられ、さらにそれらを超えて心理療法に取り入れられているのだと思っています。しかし、仏教徒ではなく、釈迦入滅後に発展した仏教の教学に影響されることのない私には、阿含経に説かれるヴィパッサナー瞑想は、それ単体で心理療法たりえるものであると考えています。阿含経は、前記七覚支ほか、一般に「法」と呼称される内容により、こうするとこうなる、こういうことを知るだろう(sati)というプロセスが明示されていることなどから、ヴィパッサナー瞑想に取り組みながら学んでゆくと理解がどんどん進み、阿含経で釈迦が説いていることは、自分のこういう変化を言っているだなと理解できるようになります。またその様になって行くことを確認することで、瞑想の進捗状態を自ら知ることもできます。マインドフルネスついて、私は、その主な担い手である欧米の方々が、「禅仏教を一種の合理的神秘主義として」提示した鈴木大拙さん(エヴァン・トンプソンさん「仏教は科学なのか」Evolving)の影響を色濃く受けているのではないかとの印象を持っています。加えて、カバットジンさんが、「参見知識のはじめより、さらに焼香・礼拝・念仏・修懺・看経をもちいず、ただし打座して身心脱落することをおえよ」(正法眼蔵 弁道話)という、道元禅師の只管打座の禅に私淑し、そこから注意集中力の養成というエッセンスを抜き出して、ヴィパッサナー瞑想由来の訳語である「マインドフルネス」という名称を冠した瞑想法を構成したことにより、マインドフルネスが阿含経由来の「sati」の訳語であるにもかかわらず、阿含経に説かれるような「法」=「体と心のはたらきと認知のしくみ」についての方法論を欠いたものになった、言い換えれば「仏教色」がないものであったがゆえに欧米でマインドフルネスが広く受容されるようになったのかもしれません。別の言い方をすると、マインドフルネスは、阿含経を読みヴィパッサナー瞑想をしてきたものからすると、釈迦が説いた瞑想の機序(メカニズム、成果が出る過程)を明示していない、少し説明不足な印象がある、ということになります。釈迦の下記の説法に触れると、釈迦の説いた方法論を援用しないことはとても、もったいないことのように感じます。『アーナンダよ、比丘僧伽がわたしに何を期待するのであろうか。アーナンダよ、わたしは、内外の区別なく法を説いた。アーナンダよ、如来の教法には教師の握拳はない。」(筑摩書房 増谷文雄先生 阿含経典第三巻)釈迦が得たもので隠していて教えていないものは何一つない、ということです。阿含経が、釈迦の完全な言行録ではないのかもしれませんが、釈迦が得たものを知るには、阿含経に頼るしかありません。大乗仏教では「妙法蓮華経」「新解品」の「窮子喩(ぐうじゆ)」に、釈迦一代の説法を「五時」に分ける考え方があり、それに基づく天台大師の五時の教判が影響力を持ったことなどから、阿含経は長らく顧みられることがなかったようです。(前記増谷先生 阿含経典第一巻)春秋社版の阿含経は、「sati」にマインドフルネスという言葉をあてたリス・ディヴィッズさんたちが、1882年イギリスに設立した「パーリ聖典協会」が出版しているパーリ語阿含経の日本語訳です。日本では、春秋社および大蔵出版から現代語訳が出版されています。
🌸カウンセラーブログ Vol574🌸大阪梅田結婚相談所kotopuro 代表の岩田寿子です。「妊娠は女性の年齢がすべて。」そんなイメージを持っている方は少なくありません。もちろん、女性の年齢が妊娠率に大きく影響することは医学的にも明らかです。しかし、「男性は何歳でも子どもを持てる」という考えは正しくありません。今回は、最新の医学研究でも明らかになってきた男性の年齢と妊娠・子どもの健康との関係について、婚活中の皆さんにも分かりやすくお伝えします。女性には閉経という大きな節目があります。一方、男性にはそのような明確なタイムリミットはありません。そのため、「男性は何歳でも子どもが作れる」と思われがちです。しかし実際には、男性の生殖能力も年齢とともに少しずつ低下していきます。急激ではありませんが、✅精子の数✅運動率✅正常な形✅DNAの質これらが年齢とともに変化していくことが分かっています。研究によって多少違いはありますが、一般的には30代頃から少しずつ変化が始まり40歳を超える頃から✅精子数✅運動率✅生存率などが低下しやすくなると報告されています。もちろん、40歳になった瞬間に急激に悪くなるわけではありません。平均的には少しずつ変化していくということです。実は一番重要なのは精子の見た目ではありません。重要なのはDNAの質です。男性の精子は一生作られ続けます。そのたびに細胞分裂を繰り返し、DNAをコピーし続けています。何十年もコピーを繰り返すことで、どうしてもコピーエラーつまりDNA損傷が起こりやすくなります。その結果、妊娠や赤ちゃんの健康に影響する可能性があると考えられています。妊娠は「受精したら終わり」ではありません。実は父親由来の遺伝情報は、胎児が成長する過程でも重要な役割を担います。そのため、精子DNAの損傷が多い場合には、流産率が高くなるという報告もあります。もちろん、これは必ず流産するという意味ではありません。あくまで平均的なリスクが上がるということです。近年の研究では父親の高年齢と✅自閉スペクトラム症✅統合失調症✅一部の遺伝子疾患との関連が報告されています。ただし、ここで大切なのは「関連がある」と「必ず起こる」は全く違うということです。高齢のお父さんから生まれた子どもの多くは、もちろん健康に育っています。過度に恐れる必要はありません。一方で、リスクが少しずつ高くなることも事実です。だからこそ、婚活では「男性だから年齢は関係ない」という考え方は見直す必要があります。年齢は止められません。しかし、生活習慣は変えられます。医学ではエピジェネティクスという考え方があり、生活習慣が精子の状態に影響することも分かってきています。例えば✅禁煙✅適正体重✅十分な睡眠✅栄養バランス✅適度な運動✅ストレス管理これらは将来の妊娠にも関わる可能性があります。つまり、「何歳か」だけではなく「どんな生活をしているか」も非常に重要なのです。婚活では女性だけが「年齢が…」と焦る場面をよく見かけます。でも本来、妊娠・出産は二人で迎える未来です。だからこそ男性も女性も自分自身の体を知り、将来を考えることが大切です。年齢だけに振り回される必要はありません。しかし、「まだ大丈夫」と先送りし続けることも、決して賢い選択ではありません。✨結婚したい。✨子どもも望んでいる。そう考えるなら、未来は早く動いた人から広がっていきます。✔男性にも生殖能力の加齢変化はある✔30代頃から精子の質は少しずつ変化する✔妊娠率や流産率にも影響する可能性がある✔子どもの健康リスクとの関連も研究されている✔年齢だけでなく生活習慣も重要✔妊娠は女性だけの問題ではなく、二人で考えるもの婚活では「女性の年齢」ばかりが話題になりがちですが、医学的には男性側にも加齢の影響があります。だからといって悲観する必要はありません。大切なのは、正しい知識を持ち、結婚や妊娠を希望するのであれば、男女ともに健康的な生活を送り、将来について早めに話し合うことです。結婚はゴールではなく、新しい家族づくりのスタート。kotopuroは、結婚だけでなく、その先の幸せまで見据えた婚活をサポートしています。そして今回の受賞により、IBJAWARD全11期連続受賞という大変光栄な実績を達成することができました。これも、婚活を真剣に頑張ってくださった会員様、そして応援してくださる皆様のおかげです。心より感謝申し上げます。IBJAWARDは、全国約4,800社のIBJ加盟結婚相談所の中から、✨入会実績✨成婚実績✨成婚主義の実践✨コンプライアンス✨サポート品質✨信頼性などを総合的に審査し、優れた結婚相談所だけに贈られる表彰制度です。受賞できるのは全国の約10〜15%程度と言われており、決して簡単に受賞できる賞ではありません。一度だけ受賞することは、勢いやタイミングもあるかもしれません。しかし、11期連続となると話は別です。継続して多くのご成婚を生み出し新しい会員様に選ばれ安心して活動できる環境を維持し法令遵守やサポート品質を保ち続けることが評価され続けなければ達成できません。私たちは、この継続こそが一番の誇りだと思っています。結婚相談所には様々なスタイルがあります。kotopuroでは、「結婚できる人を増やす」ではなく「幸せな結婚生活を送れる人を育てる」ことを大切にしています。そのため、婚活ノウハウだけではありません。会員様には✅男女の考え方の違い✅コミュニケーション✅結婚後に必要な価値観✅妊活・ライフプラン✅お金の考え方✅家事・育児の価値観まで、一緒に考えていきます。結婚相談所によっては「成婚退会」がゴールです。しかし私が本当に願っているのは、退会後もずっと幸せな夫婦でいていただくこと。だからこそ、結婚前から「結婚生活」まで見据えたサポートを行っています。kotopuroでは国家資格キャリアコンサルタントとしての経験や、人材業界で培った20年以上の知識を活かし、一人ひとりに合わせた婚活プランをご提案しています。その結果、✨活動平均約9.9か月でのご成婚✨一人ひとりに寄り添う少人数制サポート✨LINE・面談による細やかなフォローなど、多くの会員様から嬉しいお声をいただいています。婚活では、「どこの相談所でも同じ」ではありません。担当者によって、活動内容も、交際中のサポートも、成婚率も大きく変わります。だからこそ、相談所選びでは実績が継続しているという視点もぜひ確認してみてください。11期連続という実績は、会員様から選ばれ続けた結果であり、私たちが積み重ねてきた信頼の証でもありますIBJAWARD全11期連続受賞という結果に満足することなく、これからも一人でも多くの方を幸せなご成婚へ導けるよう、全力でサポートしてまいります。婚活を始めようか迷っている方は、ぜひ一度お気軽にご相談ください。あなたの人生が大きく動き出すきっかけになれば幸いです。公式HP: https://kotopuro.com 個別相談のご予約はコチラ: https://kotopuro.com /contact結婚力アップ講座「成婚寿ワーク」はコチラ: https://kotopuro.com /work男性の方向けページはコチラ: https://kotopuro.com /men2025
「今年も気づけばもう後半。今年こそ結婚するって決めていたのに、まだいい人に出会えていない……」と、焦りを感じていませんか?お盆休みや年末年始など、家族や親戚と集まる機会が増えるこれからの時期は、どうしても「結婚」の二文字が頭をよぎりやすくなりますよね。「今から始めて、本当に年内の結婚に間に合うの?」と思うかもしれません。結論からお伝えすると、「年内成婚」を叶えるためのラストチャンスが、まさに「この夏」なのです!実は、結婚相談所で12月のクリスマスにプロポーズを成功させて成婚退会していくカップルは、大体の方がこの7月・8月に運命のスタートを切っています。今回は、鎌倉・湘南エリアを拠点に多くの成婚をサポートしてきた結婚相談所Feliz(フェリース)が、クリスマスプロポーズから逆算した「夏の婚活スケジュール」と、夏が勝負時である明確な理由を徹底解説します。今年中に最高のパートナーを見つけたい方は、ぜひ最後まで読んで一歩を踏み出すヒントにしてくださいね。結婚相談所で「年内成婚(成婚退会)」を叶えるためには、逆算したタイムラインを知ることが大切です。一般的に、結婚相談所での出会いから成婚退会までの平均期間は約3〜4ヶ月。12月のクリスマスプロポーズをゴールに設定すると、以下のような「黄金スケジュール」になります。•7月〜8月(出会いの夏):プロフィールを公開し、お見合いや仮交際(複数人とデートができる期間)をスタートさせる。•9月〜10月(深まる秋):毎週のようにデートを重ねてお互いの距離を縮め、交際相手を1人に絞り込む。•11月(真剣交際):1対1の真剣交際へ進展。結婚後の住まいや理想の家族像など、具体的な将来のすり合わせを行う。•12月(最高の冬):イルミネーション輝く街でプロポーズ!お互いの親御様への挨拶を済ませて成婚退会へ。このスケジュールを見ると、7月・8月にスタートを切ることが、12月にプロポーズを迎えるための物理的な必須条件であることがお分かりいただけると思います。今動かないと、今年のクリスマスには間に合わなくなってしまうのです。「でも、夏の婚活って暑くて大変そう……」と思いますよね。実は、その「大変そう」という心理こそが、あなたにとって最大のチャンスになります。夏にスピード婚が叶う3つの理由を解説します。お盆休みなどのまとまった休暇は、婚活を有利に進める絶好のタイミングです。普段は仕事が忙しくて時間が取れない方も、じっくりと理想のお相手を探したり、自己分析をして自分磨きに時間を充てたりすることができます。マッチングアプリや合コンなどの屋外移動が多い婚活は、夏の暑さで心が折れてしまいがちです。しかし、結婚相談所のお見合いは、冷房がしっかりと効いたホテルのラウンジで行われます。涼しく快適な空間で、清潔感を保ったまま効率よくお相手と会えるのは、結婚相談所ならではのメリットです。お盆休みに実家へ帰省すると、「いい人はいないの?」と親御様から結婚のプレッシャーを受ける機会が増えます。これにより、お盆明けは「やっぱり今年中に結婚したい!」と、結婚への本気度が急上昇した魅力的な新規入会者が一気に増える時期なのです。海や古都の街並みが美しい鎌倉・湘南エリアは、夏から秋にかけてロマンチックなデートスポットが豊富にあります。夏の夕暮れ時に江ノ電に乗って夕日を見に行ったり、涼しい秋の鎌倉カフェで将来について語り合ったりと、二人の距離を自然に縮めてくれる環境が揃っています。この恵まれたロケーションを活かして、一気に真剣交際へとステップアップしていきましょう。「まだ時間はgrumpy(ある)」と思って後回しにしていると、あっという間に年末がやってきてしまいます。夏休みにダラダラと過ごして後悔するか、今すぐ行動を起こして12月に最高のパートナーと笑顔でクリスマスを迎えるか。すべては、この夏の一歩にかかっています。🎁【まずは無料カウンセリングへ】Felizがあなたの年内婚を全力サポートします鎌倉・湘南の結婚相談所Feliz(フェリース)では、あなたの年齢やライフスタイルに合わせた「年内成婚までのオーダーメイドスケジュール」を一緒に作成します。当相談所は、国家資格保持者が運営するアットホームなプライベートサロンです。「今年中に絶対に結婚したい!」「何から始めればいいか分からない」という方は、まずは涼しいサロンで美味しいお茶を飲みながら、リラックスしてお話してみませんか?無理な勧誘は一切ございませんので、どうぞご安心ください。▶[【無料カウンセリングのお申し込みはこちら】] https://marriage.work/contact/ あなたの勇気ある一歩を、Felizは心から応援しています!
りさが、仕事帰りによく立ち寄るカフェへ、ゆうとを案内した日のことです。いつもは一人で座る窓際の席。その日は、向かい側にゆうとが座っていました。「ここ、落ち着く場所ですね」ゆうとがそう言うと、りさは少しうれしくなりました。自分が大切にしている場所を、ゆうとがやさしさで受け取ってくれた気がしたからです。お茶を飲みながら、二人は仕事の話や休日の過ごし方、最近見た映画のことを話しました。特別なことを話したわけではありません。でも、りさは帰り道に思いました。「今日、楽しかったな」「また会いたいな」駅に着いた時、ゆうとが少し緊張したように言いました。「今日はありがとうございました。りささんの大切な場所に連れていただけて、うれしかったです。」りさは少し迷いました。でも、素直に伝えることにしました。「私も楽しかったです。次はゆうとさんが大切にしているところに行ってみたいです。」その言葉を聞いたゆうとは、ホッとしたように笑いました。お互いに、次も会いたいと思っていた。そのことが、言葉になって初めて、二人の間に伝わったのです。こんにちは。福井の結婚相談所Auspicious、清水です。仮交際中のデートは楽しく過ごしているように見えても、お互いに少し緊張しています。「今日のデートが終わったら、お断りされるかもしれない」「また会いたいと思っているのは、自分だけかもしれない」「相手は楽しそうにしていたけれど、本当はどう思っているんだろう」そんな気持ちを心のどこかに持ちながら会っている方は少なくありません。特に、まだ関係が始まったばかりの頃は、相手の気持ちが分からないものです。お見合いでは感じがよかった。仮交際に進んだ。何度か会っている。それでも、確かな安心があるわけではありません。だからこそ、仮交際では「また会いたい」という気持ちを、できるだけ言葉にしていくことが大切です。デートの終わりに、「今日はありがとうございました」「楽しかったです」と伝える方は多いです。それはとっても大切な言葉です。でも、もし本当にまた会いたいと思っているなら、もう一言伝えてほしいのです。「またお会いできたらうれしいです」「今日お話ししていたお店、次に行ってみたいです」「今度、この前話していたところへ行きませんか?」こうした言葉は、告白ではありません。結婚を決める言葉でもありません。ただ、相手に安心を渡す言葉です。仮交際では、どちらかが少し不安を抱えながら会っています。だからこそ、「私は今日の時間をよい時間だと感じました」「次も会いたいと思っています」という気持ちを、言葉で伝えることが、関係を育てる力になります。実際に、成婚退会されたカップルと後日お食事をご一緒した時に、こんなお話を聞きました。仮交際中のデート中。女性が、何気なく「次はお花見に行きましょう」とお相手に伝えたそうです。女性としては、その日のデートが楽しくて、自然に出た一言だったと仰っていました。けれど男性は、その言葉を聞いた時に、「あ、また会ってくれるんだ」と、とても安心したと笑顔で教えてくださいました。今でこそ笑って話せる思い出ですが、その時のお二人はまだ仮交際中。お互いに、相手が本当はどう思っているのか分からない中で会っています。楽しそうにしてくれている。会話も続いている。でも、本当にまた会いたいと思ってくれているのかは分からない。そんな中での、「次はお花見に行きましょう」という一言。それは、告白でもなければ、結婚を決める言葉でもありません。でも、お相手にとっては、次につながる大きな安心になったのです。ここで大切なのは、「好かれるために言う」のではないということです。相手に合わせるために、無理に楽しそうにする必要はありません。本当は疲れているのに、「また会いたいです」と言う必要もありません。また会いたいと思ったら素直に伝える。楽しかったなら、何が楽しかったのかを伝える。安心したなら、どんなところに安心したのかを伝える。次に話してみたいことがあるなら、それを伝える。それは、相手に選ばれるための言葉ではありません。二人で関係を育てるための言葉です。婚活では、どうしても「選ばれるかどうか」に意識が向きやすくなります。でも、結婚につながる関係は、片方が一方的に選ぶものではありません。お互いに知り合い、少しずつ自分を伝え合いながら、「この人となら、これからのことも話していけるかもしれない」と思える関係をつくっていくものです。ここまで7月のブログでは、仮交際前半について書いてきました。①では、仮交際に入ったばかりの二人は、まだ恋人ではなく知り合いであり、まずは知り合いから友達へ進んでいくこと。②では、長いデートをたまにするよりも、毎日のLINEや週に一度の短いデートで接点を重ねること。③では、相手を知るだけでなく、自分のことも少しずつ伝えていくこと。そして、デート後の振り返りで自分の気持ちに気づくこと。そして今回は、気づいた気持ちを相手に伝え、関係を自分からも育てていくことについて書いています。婚活は、ただ出会うだけではありません。出会った相手と、どう関係をつくっていくのか。自分の気持ちをどう見つけるのか。相手に何を伝えるのか。どんな関係なら、自分らしく進んでいけるのか。そこを一つずつ見ていく時間です。「いい人に出会えたら自然とうまくいく」と思っていると、仮交際でつまずくことがあります。連絡の取り方が分からない。デートの進め方が分からない。自分の気持ちが分からない。相手にどう伝えればいいか分からない。そういう時に、一人で悩んで止まってしまうのは、とてももったいないことです。Auspiciousのごきげん婚活メソッドでは、プロフィールを整えたり、お見合いを組んだりするだけではありません。お見合い後、仮交際に入ってからの関係づくりも、一緒に見ていきます。「この人とまた会っていいのか分からない」「LINEの間隔が空いてしまう」「デート後の振り返りに何を書けばいいのか分からない」そんな場面で、その方の状況や気持ちに合わせて、一緒に整理していきます。婚活で大切なのは、自分は何を感じているのかです。それを自分の言葉で分かるようになることです。関係を育てる力は、最初から完璧なわけじゃありません。婚活の中で、少しずつ身につけていけばいいのです。何度か会っているのに、関係が深まる感じがしない。相手の気持ちばかり気になって、自分の気持ちが分からなくなる。また会いたいと思っても、素直に伝えられない。そんな方は、無料カウンセリングで今の婚活について聞かせてください。あなたが安心して結婚へ進んでいけるように、Auspiciousが伴走します。
こんにちは(*^_^*)名古屋の結婚相談所「婚活サポートアテンダー」です♪今年から40℃を超える気温の日を「酷暑日」と言うみたいですね(^_^;)アテンダーがある名古屋ではここ最近、酷暑日が続いております…暑いと「婚活をしよう!」と思いにくいですよね…ところが!アテンダー会員様は超活発に動かれています(*^^)vお見合いラッシュに交際ラッシュで、毎週末に嬉しいご報告が届いております(^^♪ここで動ける人か?動けない人か?で年末の結果が大きく変わって来ます。さて本日は、皆さんが気になる「どういう人が結婚相談所で早く成婚するの?」に答えています!自分でブログを書いておいて、「これ読んだら成婚出来ちゃうじゃん」と思う内容wしかし、書きながら熱くなってしまい…笑超が付く長文になってしまいました(^_^;)読む時に「覚悟」を持って読んで下さいw↓続きは https://www.attender.jp/blog/entry/20260724_2437.html からアテンダーは常に寄り添う伴走型サポートで短期成婚に導きます(^^♪あなたにとって今日が一番若い日!勇気ある一歩をお待ちしております♡※全国対応、暑くて外に出たくない人には「オンライン」でも対応可能☆
みなさんこんにちは。心を整え、生涯幸せな結婚へ導く『みら婚メソッド』の田井和男です。みら婚メソッドは、結婚相談所というより「心のパーソナルトレーニングジム」です。婚活を通して心を整え、人を信じ、自分らしく人と関われる力を育てながら、生涯幸せな結婚を目指していきます。無料相談ではアドバイスをするだけではなく、『婚活がうまくいかない原因がどこにあるのか』を一緒に整理しています。もし「婚活だけではなく、人間関係そのものを変えていきたい」と感じた方は、ぜひお気軽にご相談ください。■【人間不信チェック】普通に喋れるのに「誰も信じられない…」あなたが婚活で突然つまずく衝撃の理由と、奇跡の脱出ストーリー「婚活パーティーでは笑顔で話せるし、お見合いの場でも愛想よくできる。でも、なぜか相手を心から信じることができない…。仮交際が進んで距離が近づくと、急に逃げ出したくなる…」そんな「隠れ人間不信」に陥っていませんか?実は結婚相談所やアプリで婚活が長期化してしまう背景には、自分でも気づいていない『人を信じられない心』が隠れていることがよくあります。皆さんこんにちは!『みら婚メソッド』の田井和男です。今日も「耳が痛いけど、読むだけで心がフッと軽くなる婚活の処方箋」をお届けします。最後までお付き合いいただければ、あなたがこれまで苦しんできた本当の原因と、そこから抜け出して最愛のパートナーと結ばれるためのヒントがすべて分かりますよ!仕事の付き合いや、浅い友人関係なら社会生活に困らない程度にはこなせる。でも、大人数の飲み会や、みんなが楽しそうにしている会話の輪に入るのはぶっちゃけ大の苦手……。そんな方、意外と多いのではないでしょうか。「本当は他人のことを1ミリも信じていないし、心のシャッターをガラガラと閉めている自分がいる」でも、こういうタイプの方に限って、表面的には笑顔が素敵で愛想が良く、周囲からは「コミュニケーション能力が高い人」に見られたりします。そのため、周りからはまさか「人が苦手で悩んでいる」なんて夢にも思われません。深い人間関係さえ避けていれば、心の中に飼っている「人間嫌いのイタチ」がバレることはないのです。ところが、婚活市場に参入すると話は一変します。なぜなら、婚活というゲームは「絶対に相手と深くなること」がクリア条件だからです。他の人間関係は何とかだましだましこなせていけても、結婚相談所での真剣交際やプロポーズが見えてくると、途端に息ができなくなるほど苦しくなる。これはあなたの根性が足りないわけでも、魅力がないわけでもありません。実は、感情的な人間嫌いとはまったく違う「心のシステムエラー」が起きているだけなのです。大事なのは、なぜ人と深くなることにこれほど心がざわついてしまうのか、という点です。例えば、楽しそうに話している人たちの輪があるとき、「あの中に入りたいな」と思う自分と同時に、「拒絶されたらどうしよう、怖い!」と恐怖の叫び声をあげる自分が共存していませんか?一対一で向き合う婚活の現場でも、全く同じことが起こります。仲良くなるために自己開示(自分のダメな部分を明かすこと)をしようとしたり、結婚に向けて「一緒に住む部屋のエリア」や「将来の家計」といった具体的な話をしようとしたりすると、脳内で「ウーウー!」と緊急警戒警報が鳴り響いてしまうのです。ここで、よくある婚活の「たとえ話」をしてみましょう。仮交際中のデートで、お相手から「来週は僕の行きつけの美味しい定食屋に行きませんか?」と言われたとします。普通の感覚なら「わあ、楽しみ!」となるところですが、人を信じられない心が発動すると脳内変換がバグを起こします。『えっ、定食屋?私をお洒落なイタリアンに連れて行く価値がないってこと?それとも私を試してる?雑に扱われてる!?』と、裏の裏のそのまた裏を読みすぎて、勝手に脳内で大河ドラマを展開した挙げ句、「体調不良なので延期で」と自爆ボタンを押してしまう……。これを私は「一人相撲のスペースシャトル発射」と呼んでいます。宇宙まで飛んでいって帰ってこられなくなっちゃうわけです。さて、いつからあなたはこんな「裏読みのプロ」になってしまったのでしょうか?原因の多くは、幼少期の親子関係にあります。または、過去に信じていた友人や昔の恋人にコテンパンに裏切られたトラウマが原因の場合もあります。一言で言えば、「ありのままの自分」が否定され、嫌われ、見捨てられた……という強烈な痛みを経験した結果、「自分という存在は人から嫌われるものなんだ」という勘違いの呪いを自分にかけてしまったのです。人間嫌いというよりは、「人を信じる機能が一時的にフリーズしている状態」と言ったほうが正確ですね。ここで、世の中のリアルな数字を見てみましょう。【参考情報※AIジェミニ参照】各種の意識調査や結婚相談所の動向データを紐解くと、現代の婚活層において「自分に自信がない(自己肯定感が低い)」と回答する割合は全体の約7割から8割にのぼると言われています。さらに、内閣府などの少子化社会対策に関する意識調査を見ても、交際相手がいない理由として「異性と上手く付き合えない」「自分に魅力がない」といった心理的障壁を挙げる人が常に上位を占めています。つまり、「人を信じられない、自分を信じられない」と悩んでいるのは、あなた一人ではなく、婚活市場全体の巨大なマジョリティ(大多数)なのです。もしここまでの話を聞いて「あ痛たた!これ私のことだ…」と耳を塞ぎたくなった方も、どうか安心してください。幸せな結婚にたどり着くことを諦める必要は一切ありません!私は結婚相談所の現場で、同じように「心のシャッターが錆びついて開かない」と悩んでいた方を、何人も成婚まで導いてきました。そして皆さん、成婚後もびっくりするほど旦那さんや奥さんとラブラブにやっています。ただし、そのためには「そもそも自己肯定感が高くて、人と深くなるのが三度の飯より大好き!」というポジティブお化けのような人たちと同じやり方をしてはいけません。そんな人たちと全く同じスタンスで無理に婚活をしていると、日々の活動がただの苦行になり、余計にこじれてしまいます。例えるなら、重度のピーナッツアレルギーがある人が、周りが「ピーナッツ美味しいよ!健康にいいよ!」と食べているからといって、一緒にバクバク食べたら大惨事になりますよね。それと同じで、まずは自分の「心の体質」を正しく把握し、自分だけの幸せのルートを間違えずに歩いていく必要があるのです。では、どうすれば人を信じ、幸せな結婚生活を送れるようになるのでしょうか?ここで登場するのが、私たちが提唱する「みら婚メソッド」です。心のアレルギーを克服し、大逆転成婚を叶えるための4つのステップを解説します。①過去を知る(心の歴史紐解きツアー)まずは、あなた自身の過去の物語を優しく理解してあげましょう。あなたは生まれつき人間不信だったわけではありません。人生のどこかでつらい思いをし、心が傷ついて自己肯定感が下がり、身を守るために防衛軍を組織しただけなのです。「なんだ、たまたま今は信じる力を失っているだけか」と気づくことが、自分を変える強力なロケットエンジンになります。②自己肯定感(自分の存在に100点満点を出す)人から受けた傷のせいで地盤沈下してしまった自己肯定感を取り戻します。みら婚メソッドで言う自己肯定感とは、「他人がどう思うか」「年収や容姿がどうか」は一切関係なく、「過去も今も、自分という存在は生きているだけで100点満点!」と自分自身で認めてあげることです。自分の存在そのものを、自分が熱狂的なファンになって愛してあげる状態を目指します。③少しずつ人を信じる(心のリハビリ大作戦)ここからがいわば「リハビリ」の段階です。今まで恐れていた「人と深くなる」という挑戦に、1ミリずつ挑んでいきます。最初は怖くて仕方がありませんし、すぐに防衛軍が出動して心がくじけそうになります。だからこそ、ここはお一人でやらせません。結婚相談所のカウンセラーが二人三脚で交際をコーチングし、一緒に伴走します。するとある日、パッカーンと衝撃的な瞬間が訪れます。「えっ…?この人には私のダサいところを見せても、嫌われないし大丈夫なんだ…!」これを知った瞬間、まるで白黒の世界がカラーに変わるような衝撃を受け、涙を流す会員様もたくさん見てきました。④婚活の中で練習する(成婚後のフライング練習)みら婚メソッドの最大の強みは、「結婚すること」ではなく「結婚した後に一生幸せに続くこと」を見据えている点です。プロポーズの前に、将来一緒に住む想定でお相手と心を一つに深める練習を重ねていきます。喧嘩の乗り越え方や、話し合いのコツを事前にシミュレーションしておくことで、成婚退会したその日から最高のスタートダッシュが切れるようになります。【心理学視点での参考情報※AIジェミニ参照】心理学の世界では、他者と良好な関係を築くための心の土台を「安全基地」と呼びます。幼少期にこの安全基地(無条件で自分を受け入れてくれる場所)が得られなかった場合でも、大人の恋愛や婚活のプロセスにおいて、カウンセラーや誠実なパートナーとの関わりを通じて「獲得型の安全な愛着スタイル」へと再構築することが可能であると実証されています。つまり、過去がどうであれ、正しいアプローチを行えば、大人の心はいつからでも生まれ変わることができるのです。人を信じて生きるということは、実は「自分を信じること」そのものです。あなたが自分自身を信じ、お相手を信じられるようになったとき、温かく安心できる理想の家庭はすぐ目の前に現れます。今日の記事を読んで、「あ、これはまさに自分のことかもしれない」「一人で頑張る婚活に限界を感じてきた」と思った方は、ぜひ一人で抱え込まずに、みら婚の「無料相談」にお申し込みください。無料相談では、単なるお説教や小手先のテクニックをお伝えするのではなく、「あなたの婚活がうまくいかない根本的な原因がどこのボタンの掛け違いにあるのか」を、まるで絡まった糸を解くように一緒に優しく整理していきます。原因がすっきりと見えれば、明日の婚活から驚くほど前向きに進められるようになりますよ。隠れ人間不信の罠:表面的なコミュニケーションは得意でも、深い関係になると「ざわつき警報」が鳴り響き、自爆して婚活を終わらせてしまう人が多い。原因は過去の傷:幼少期の親子関係や過去の裏切り体験による自己肯定感の低下が原因。あなたが悪いのではなく、心の防衛本能が働きすぎているだけ。解決は「みら婚メソッド」の4ステップ:「過去の理解」「自己肯定感の回復」「カウンセラーとの二人三脚リハビリ」「成婚後を見据えた関係作りの練習」で心のアレルギーは克服できる。最後に:人を信じることは自分を信じること。原因を整理すれば、婚活の景色はガラリと変わります。ブログやテキストだけではなかなか伝わりきらない、「心のざわつきを抑える具体的なワーク」や「交際相手の心を一瞬で開く魔法の会話術」については、YouTube動画でさらに詳しく、私の生の声で熱く解説しています!動画で見ると、「あ、こういうことか!」とより深く脳にしみ込んで、実践しやすくなりますよ。画面の下にあるリンクから、ぜひYouTubeチャンネル『婚活アカデミー』の動画をチェックしてみてくださいね。チャンネル登録をして聞き流すだけでも、あなたの婚活脳がどんどん幸せ体質にアップデートされていきますよ!動画の中でお会いできるのを楽しみにしています!【今回の関連youtube動画はこちら】婚活がうまくいかない人に共通【人を信じられない心】の正体 https://youtu.be/OVhP4IQ5bic ▼みらい結婚コンシェルと「みら婚メソッド」について結婚相談所「みらい結婚コンシェル」代表の田井和男です。幸せ体質を身に着け、生涯幸せな夫婦を実+現する自分磨きトレーニング【みら婚メソッド】開発者でもあります。以下、生涯幸せな夫婦を作る独自の「みら婚メソッド」や、結婚相談所「みらい結婚コンシェル」の詳細です。是非御覧ください。※サービス内容などは原則更新日時点の物となり、改善の為変更の可能性もあります。■みらい結婚コンシェルについて★自分を幸せ体質に変える「みら婚メソッド」で自分磨きをしながら婚活できる結婚相談所です婚活が根本から劇的に変わります★人間不信、自己肯定感が低い、人と深められない人の欠点が許せない、決めることが怖い・・そんな自分を変えることができます★生涯幸せな家族を作る事が目的独自の「みら婚メソッド」で生涯幸せな家族作りを学びます遠慮して浅い状態で結婚し後で後悔しないように導きますだから結婚後が安心です★何をやってもうまくいかなかった・・そんな人も正しく努力すれば平均約半年で成婚退会に導きます★完全オンライン対応なので地方の方も大歓迎ですオンラインで対面以上のサポートをしていますから地方の方の成婚実績も多数あります★成婚後もサポート生涯幸せな夫婦が続く事を見据えた指導を婚活中に行っています成婚したあとも担当に相談したり、セミナーや勉強会に参加できます■みら婚メソッドについて多くの婚活迷子さんは、人とある程度の距離以上に深まらない、心の癖を持っています。頭では結婚したいと思いつつも、心の奥底では、幸せな結婚につながらない方向に向かってしまっています。だから幸せな結婚がしたいのに、なぜか頑張るほど遠ざかってしまうのです。これをみら婚メソッドでは不幸体質と呼んでいます。これを大人になってから一人で解決するのはとても難しいです。結婚をしたいと願うすべての方が生涯幸せな夫婦を実現できるように、短期間で幸せ体質に変われるように開発されたのがみら婚メソッドです。世界初の生涯幸せな夫婦を実現させるためのトレーニングメソッドです。みら婚メソッドは単なるノウハウやテクニックではありません。日常の習慣や思いグセから変えていく会員一人一人に合わせた毎日のワークや、二人三脚のコーチングを行いながらの仮交際、定期的な勉強会、個別フォロー(カウンセリング)などを行っています。これにより、自己肯定感を高め、他人とのかかわり方、生き方そのものが変わり、短期間で幸せ体質になり、幸せな家族を作ることを目指しています。日本中に生涯幸せな家族をたくさん作りたい。どんなに拗らせた婚活迷子さんでも幸せな結婚を実現させてほしい。そんな想いをもって活動しています。※みら婚メソッドがよくわかる記事・みら婚メソッド体験者の声 https://ameblo.jp/mirai -mc/entry-12652613575.html・奇跡を起こすみら婚メソッドについて https://ameblo.jp/mirai -mc/entry-12599172202.html・自己肯定感を高ることが幸せな結婚につながります https://youtu.be/EuMtlgSJzbI ・結婚相談所での婚活がうまくいかない5つの原因 https://ameblo.jp/mirai -mc/entry-12607454353.html・みら婚メソッドで自分のことを好きに変えると婚活がうまくいき始める https://ameblo.jp/mirai -mc/entry-12653057996.html・【注意】幸せを感じる力が無い人は、誰と結婚しても幸せになれない 2023.3.5 https://ameblo.jp/mirai -mc/entry-12792209223.html・何をやってもダメだった人が得意な相談所です https://ameblo.jp/mirai -mc/entry-12644557295.html幸せ体質に変わることか幸せのカギ2023.5.26 https://ameblo.jp/mirai -mc/entry-12804659473.html■30分婚活電話無料相談について婚活でお悩みの方向けに30分の電話無料相談をやっております。みら婚メソッドの考えを元に、30分ご相談に乗ります。またみらい結婚コンシェルに入会をご希望の方もまずはこの無料電話相談からお願いしております。※お一人様1回のみとさせていただきます。※婚活のお悩み相談となります(恋愛や婚約以降のご相談は基本的には受け付けておりません)※以下のyoutubeチャンネル「婚活アカデミー」をある程度御覧になってからお申込みください。 https://www.youtube.com/channel/UCuC1sKba_Z1i10nuDBAdNwA 電話無料相談・入会の説明希望の方は以下のどちらかの方法でお問合せください。①ラインにて「無料電話相談希望」または「入会の説明希望」とメッセージをください田井和男のライン ※送信できない方はフォームからお願いします。 https://line.me/ti/p/e6Tea5mmrz ②フォームにて 以下のフォームに入力の上送信ください https://forms.gle/gctMvAH759ddoxuG9 ■サイトやSNS・youtubeチャンネル「婚活アカデミー」 https://www.youtube.com/channel/UCuC1sKba_Z1i10nuDBAdNwA ・婚活迷子を救うみら婚のブログ https://ameblo.jp/mirai -mc・結婚相談所みらい結婚コンシェルのサイトはこちら https://www.miraimc.com/ #婚活#結婚相談所#恋愛#みら婚#自己肯定感
「このまま東京で暮らしながら婚活をするべきか、それとも地元へ戻ってから婚活を始めるべきか」30代を迎え、結婚や今後の人生を考え始めた女性から、このようなご相談をいただくことがあります。今回は、東京で働く30代女性から寄せられたお悩みをもとに、仲人の視点から考えてみたいと思います。東京に残るか、地元の金沢へ戻るかご相談者様は専門職として働き、年収は約550万円。在宅勤務が可能なため、地元の金沢へ戻っても、現在の会社を辞める必要はありません。金沢へ戻ることを考え始めた理由は、次のようなものでした。・一生東京で生活することに不安がある・家族が大好きで、離れて暮らすことが寂しい・東京での一人暮らしを精神的につらく感じることがある一方で、東京を離れることにも迷いがあります。・東京のほうが出会いの人数が多そう・金沢では希望する相手に出会えないかもしれない・東京での生活には楽しいことも多い東京にも金沢にも、それぞれ離れがたい理由があります。出会いの人数だけで住む場所を決めない確かに、東京には多くの独身男女が暮らしています。婚活パーティーや結婚相談所、お見合いの選択肢も多く、出会える人数だけを比較すれば、東京に残るメリットはあるでしょう。しかし、婚活で本当に大切なのは、出会える人数の多さだけではありません。たくさんの男性と出会えても、「結婚後も東京以外には住みたくない」「妻の地元へ移住することは考えていない」という男性ばかりであれば、将来的に金沢へ戻りたい女性とは生活設計が合わない可能性があります。反対に、金沢や北陸で出会える人数が東京より少なかったとしても、「家族との距離を大切にしたい」「北陸で落ち着いた生活を送りたい」「在宅勤務を活用して地方で暮らしたい」という男性と出会えれば、結婚後の生活を具体的に描きやすくなります。出会える男性の人数と、幸せな結婚生活を築ける男性の人数は、必ずしも同じではありません。結婚後、どのような毎日を送りたいですか東京に残るか、地元へ戻るかを考えるときは、婚活の有利・不利だけで判断するのではなく、結婚後に望む暮らしを整理することが大切です。例えば、次のようなことを考えてみましょう。・家族とは、どのくらいの距離で暮らしたいか・将来子どもを持った場合、家族の支援を希望するか・都会の便利さと、地元での安心感のどちらを重視するか・休日をどのように過ごしたいか・結婚後も現在の仕事を続けたいか・夫婦でどの地域に住みたいか結婚は、お相手を見つけることだけがゴールではありません。その後に続く毎日の生活を、どこで、どのように送りたいのかを考える必要があります。居住地を決める前に婚活を始めてもよい「東京か金沢かを決めなければ、婚活を始められない」と考える方もいますが、必ずしも先に結論を出す必要はありません。東京に住みながら、・金沢や石川県に住む男性・富山県や福井県など北陸在住の男性・将来的に地方移住を考えている男性・在宅勤務が可能な男性・北陸に実家があり、将来戻る可能性がある男性なども含めて、お相手を探すことができます。オンラインお見合いを活用すれば、遠方に住んでいる方とのご縁も検討できます。ただし、将来的に金沢へ戻る可能性がある場合は、お相手にその希望を伝えることが重要です。交際が深まってから初めて、「本当は金沢へ戻りたいと思っています」と伝えると、居住地をめぐって大きなすれ違いが生じることがあります。プロフィールやお見合い、交際初期の段階で、将来の居住地について少しずつ確認していくことが大切です。失恋直後は、大きな決断を急がない今回のご相談者様は、最近交際していた男性と別れたばかりとのことでした。失恋の直後は、一人で過ごす時間が普段以上に寂しく感じられることがあります。そのため、「もう東京にはいたくない」「今すぐ地元へ帰りたい」という気持ちが強くなることもあるでしょう。地元へ戻りたい気持ちを否定する必要はありません。ただし、引っ越しや退職、婚活などの大きな決断を、一度に進める必要もありません。まずは金沢へ少し長めに帰省し、実際に在宅勤務をしながら生活してみる方法もあります。旅行として帰るのではなく、仕事をし、買い物をし、平日と休日を過ごすことで、金沢で暮らす自分を現実的にイメージできます。仲人としてお伝えしたいこと今回のように、仕事を続けたまま地元へ戻れる環境があることは、大きな強みです。東京に残ることも、金沢へ戻ることも、どちらが正解ということではありません。大切なのは、「出会いが少なくなるのが怖いから、つらくても東京に残る」という選び方をしないことです。反対に、「失恋して寂しいから、すぐに東京を離れる」という決め方も、少し慎重になったほうがよいでしょう。まずは、自分が結婚後に送りたい生活を具体的に整理してみてください。そのうえで、東京と北陸の両方に可能性を残しながら婚活を始めることをおすすめします。婚活は、最も多くの異性がいる場所で行うことではありません。自分が望む人生を理解し、その暮らしを一緒につくっていける一人と出会うための活動です。東京に残るか、地元へ戻るか。すぐに答えを出せなくても問題ありません。自分にとって大切なものを一つずつ整理しながら、後悔のない人生と結婚を選んでいきましょう。青梅市の結婚相談所LookingHappy https://www.looking-happy.com/
婚活レスキュー隊です。先日、28歳の女性会員様から嬉しいご報告がありました。「プロポーズしていただきました。」その一言を見た瞬間、私たち夫婦も思わず顔を見合わせて笑顔になりました。でも、このご報告を聞いて真っ先に思い出したのは、プロポーズの日ではありません。活動を始めた頃のことでした。会員様がForeverMateに来られた理由は、とてもシンプルでした。「出会いがありません。」仕事と家の往復。気づけば新しい出会いもなく、このままでいいのかなという不安を感じていたそうです。昨年10月に活動をスタート。そこから一歩ずつ婚活を進めていかれました。お見合いで出会ったお相手と交際が進み、真剣交際へ。順調に見える一方で、会員様は何度もこんな気持ちを話してくださいました。「この人で本当にいいのかな。」結婚は人生の大きな決断です。だからこそ、不安になるのは当たり前。私たちは、その迷いを否定したくありませんでした。婚活をしていると、「早く決めた方がいい。」そんな言葉を耳にすることもあります。でも、私たちは違います。無理に背中を押して決めても、その決断に納得できなければ意味がありません。だから私たちは、会員様が自分自身で「この人と歩んでいきたい」と思えるまで、一緒に考え続けました。焦らせることは、一度もしませんでした。お見合いから約半年。真剣交際は約3か月。そして先日、大切なプロポーズの日を迎えられました。活動を始めた頃には想像できなかった未来が、現実になりました。結婚相談所では「成婚」がゴールのように思われることがあります。でも、本当のスタートはここからです。だからこそ私たちは、プロポーズを急ぐことよりも、「この人となら頑張っていける。」そう思える気持ちを大切にしています。もし今、「この人でいいのかな。」そう悩んでいるなら、その気持ちを無理に消そうとしなくても大丈夫です。迷うことは、本気で結婚を考えている証拠です。大切なのは、誰かに答えを決めてもらうことではありません。自分自身が納得して、一歩を踏み出せること。そのために、私たち婚活レスキュー隊がいます。このたびは、本当におめでとうございます。末永くお幸せに。婚活レスキュー隊です。婚活に迷ったとき、誰に相談すればいいか分からなくなることもあると思います。そんな時は、尼崎市で夫婦ふたりが運営するこの相談所を思い出してください。ForeverMate-結婚相談所-(フォーエバーメイト)は、全国でも唯一、元レスキュー隊長が在籍し、30代夫婦が一組ずつ丁寧に向き合う、尼崎市でおすすめの結婚相談所です。「結婚したいけど、何から始めたらいいか分からない」「アプリや婚活パーティーでうまくいかなかった」「一人で婚活を続けるのがしんどくなってきた」そんな方のための婚活レスキュー隊です。所在地:兵庫県尼崎市富松町1丁目26-29🌐ホームページ https://forevermate.site/ 💚LINE無料相談 https://lin.ee/AvCNaTC 📸Instagram https://www.instagram.com/forever_mate8/ 🤝IBJ公式ページ https://www.ibjapan.com/area/hyogo/27188/
婚活を進める中で、「休日の過ごし方が同じ人」「共通の趣味がある人」を条件にしていませんか?実はそれ、むしろ成婚を遠ざけてしまう思い込みかもしれません。現場で数々のカップルを見届けてきたカウンセラーだからこそ分かる、同じ趣味よりも何倍も大切なお相手探しの本当の軸があります。インドア派・アウトドア派問わず、お互いを尊重しながら末長く仲良く過ごすためのヒントをまとめました。▼続きはエグゼクティブマリアージュ結yuna公式ブログで▼ https://executivemariage.co.jp/column260723/
こんにちは、岡山市の結婚相談所JM岡山、森次です。今日は147日目の婚活川柳をお届けします。遠距離交際には二人の情熱が欠かせません。どちらかの一方の情熱が欠けると連絡が途絶えがちになります。2人の相性が良く情熱に満たされていると遠距離のハンディは全く気にならずゴールまっしぐらです。*****************************************岡山市中区西川原176-2-3(西川原就実駅から徒歩6分、駐車場有り)TEL:086-206-5710開業が2000年なので創業27年目になります。IBJに中四国で一番最初の2007年に加盟し人生経験と相談所実績で岡山県№1親身で優しいサポートが自慢で成婚主義のJM岡山です https://jm-okayama.jp/ *****************************************
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IBJ AWARD受賞とは?
IBJの加盟相談所の中でも継続的に会員数を増やし、多くの成婚者を輩出した相談所に贈られる賞のことです。
成婚実績、入会数、法令順守、クレーム・トラブルが無い等、優良相談所の証となるようIBJが基準を設けて表彰を行っています。
詳しくはIBJ AWARD特設サイトをご確認ください。
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経済産業省が定めたガイドラインを基に第三者機関のJLCA※が審査し、基準を満たした事業者に向けて発行しているマークのことです。
取得相談所は、各種法令を厳守していること、個人情報を適切・安全に管理していることが認められている安心・安全な結婚相談所です。
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希望者が受講でき、第三者機関のJLCA※が認定する資格です。
婚活者の活動をサポートするために必要な専門的知識とスキルの基準をクリアした方が認定されます。
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