恋愛未経験・あゆみのアラフォー婚|第2章
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(カウンセラーとして話している私の前で、あゆみ(仮名・薬剤師・41歳)は小さく手を握りしめたり、深呼吸をしたりしていた。自分の話をするたびに、声がわずかに震える。でも、その震えの中に、長年押し込めてきた本音が滲んでいた。彼女が勇気を出して、飛び込んできてくれたことを実感した。)
“相談員泣かせ”のケース、あゆみもそのひとりだった
仲人型の結婚相談所のカウンセラーをしていて、一番困ることは何か?──それは、活動の途中で「この人、実は結婚願望がない」とわかってしまう瞬間です。登録のきっかけは人それぞれ。「親を安心させたい」「周りが結婚したから」「子どもが欲しい」「老後が不安」──動機が立派でも、心の奥(無意識)は別のことを思っていることがあります。いわゆる“相談員泣かせ”のケースです。
あゆみもその一人でした。彼女の場合は、自分でも“結婚願望が薄い”と気づいていた点が救いでした。セッションを重ねる中で、その理由が少しずつ見えてきたのです。「それでも結婚したい」あゆみは言った。
父の言葉と、言えなかったひと言
夕食後の居間、テレビのニュースが流れる中、父は湯飲みを片手に言った。「25歳までに結婚しろよ。費用は出すから」。
蛍光灯の白い光が少し冷たく、湯気の向こうで父の顔がぼやけて見えた。あゆみはその瞬間、息を詰めた。箸を置こうとした手が止まり、指先が小さく震えた。怒りとも悔しさともつかない熱が胸に広がったが、言葉が出ない。
「はい」とだけ返した声が、自分の声なのに他人のように響いた。
──父が軽い口調で言った言葉を、彼女は22歳の頃の記憶として思い出しました。父は25歳で結婚している。彼女は心の中で“それはあなたの人生でしょ”と思った。けれど、口には出せなかった。
「長い間忘れていたけれど、あのとき私は怒っていたんです」いまのあゆみなら、こう言える。「お膳立てしなくていいよ。自分でやるから。自分の人生だからさ。」
ようやく“言葉”を取り戻し始めた瞬間でした。
癒着と依存のあいだで
「お母さんとの癒着を解こう」──そう伝えると、あゆみは少し驚いた顔をした。
母との関係を変えることが、父との関係をも変えるきっかけになる。そう説明すると、彼女は静かにうなずいた。セッションでは、母の立場に立って自分を見つめ直すワークを行った。
「あなたがお母さんなら、目の前の娘に何て声をかける?」
あゆみは少し考えて、「家事を手伝ってくれてありがとう。旅行先から写真を送ってくれて嬉しい。これからもたくさん話をしようね」と答えた。
第三者の視点で親子を見つめ直すと、表面上は仲の良い親子に見える。でも、そこには“対等な関係の不在”があった。彼女は長い間、親に依存しながらも心の中で文句を言い続け、従って生きてきたのだ。それが“異性との関係に踏み出せない”根っこだった。
婚活、始動──初めての出会い
(お見合い当日の朝、あゆみは鏡の前で何度も髪を整えた。手のひらは少し汗ばんで、スマートフォンを持つ指がすべった。駅へ向かう途中、心臓がやけに早く打ち、息を整えるために何度も深呼吸をしたという。ホテルのラウンジに入った瞬間、香水の匂いと静かな緊張が漂っていた。視線を落としながらも、彼女の瞳はどこか期待に光っていた。)
入会から4ヶ月後。彼女はついに活動を始めた。お見合いパーティーにも初参加。「案外、平気でした」と笑う。練習のつもりで申し込んだお見合いが、まさかの2人成立。
「腹が決まってるときの自分は、不思議に冷静なんです。相手が緊張してるのも分かりました」
だが、恋愛未経験、交際経験ゼロのあゆみには、“自分が好かれているのかどうか”が分からない。無表情な男性相手だと特に不安が募る。
「思い込みがあると、つながりを感じられません。相手がソワソワしてたら、“どうかしましたか?”と聞いてみて」と私は助言した。
初交際、そして“もし結婚するなら”の練習
あゆみは2人と同時に仮交際になり、そのうち1人を本命に決めた。ラインも続き、2回目のデートでは呼び名を決め、“です・ます調”を卒業。次のデートは、彼女のリードで決まった。結婚したい気持ちは強くなって行った。
デートの後半、私は彼女に“もし結婚するなら”という会話の練習を提案した。
「たとえば、“もし結婚するならどんな暮らしが理想ですか?”と軽く聞いてみるんです」と伝えると、あゆみは少し笑って、「それなら言えそう」と答えた。
実際のデートで彼女は試してみた。
「もし結婚するなら、朝はコーヒー派ですか?ごはん派ですか?」──その一言で場が和み、彼も笑ったという。
小さな“もし”が、二人の距離を少し近づけた瞬間だった。
ただ、会話の中で引っ掛かる言葉があった。彼が言った「なるべく長くお付き合いしたい」。
──“なるべく”って何?喉まで出かかったツッコミを、彼女は飲み込んだ。「よし、次にやんわり聞いてやろう」
異性との距離感を学びながら、あゆみは少しずつ“関わる勇気”を体得していった。
真剣交際、そして壁の向こうへ
(あゆみは彼との時間が楽しいほど、どこかで怯えてもいた。好かれることで自分を失うのではないか、また誰かの期待の中に閉じ込められてしまうのではないか──そんな小さな恐れと、それでも信じたいという希望が胸の中でせめぎ合っていた。)
4回目のデートのあと、彼との関係は順調に見えた。けれど、私は尋ねた。「現状維持で満足してませんか?」
「異性との交際が初めてなので、このままでも楽しくて」
「前に進みたい?」
「もちろんです」
彼女はもう一人とは交際を終了し、本命の彼に絞った。そして、ついに彼女の方から“真剣交際”を申し込んだ。
「ぼくも、真剣に交際していきたいです」──そう言った彼は、真剣交際の意味をまだよく知らなかった。
それでも、彼女は笑っていた。「私が教えていきます」
結婚への距離、そして本当の勇気
彼女が“自分で選んだ”と実感したのは、誰に背中を押されるでもなく、自分の意思で彼と向き合うと決めた瞬間だった。
真剣交際に進んでから、彼が──彼もまた──実は“結婚願望が薄い”とわかった。それでも彼女は逃げなかった。彼の背景、生い立ちを理解しようとした。
「私も怖かったけど、相手も怖いんだと気づいたんです。」
二人は“6ヶ月ルール”を延長し、8ヶ月後にようやく成婚退会。さらに1年の婚約期間を経て、無事入籍した。
結婚とは、理想の相手を探すことではなく、お互いに怖がりながらも一歩ずつ近づく勇気を持つこと。
あゆみの婚活は、まさに“自分の人生を生きる練習”だった。