婚活テクニック~困難な局面を迎えたときの感情~
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困難な局面を迎えたときの感情は?
こんにちは。
群馬県の結婚相談所エプーズモアの小野里ちゃこです。
平穏無事に過ごしているとき、
楽しい時間を過しているとき、
物事が順調に進んでいるとき、
そんな良いときというのは、
心の器の大きさにも余裕があります。
人にも優しくできる。
良いときを分かち合うのは簡単♪
よく、”喜びは2倍に”なんて聞くけど、本当にその通り!
だって、簡単だもの!
恋人や夫婦に限ったことではない。
友達だってそうだ。
良いとき、うまくいっているときは、
多くの人が寄ってくる。
近くにいると、楽しいし、メリットがあるから。
でも、残念なことに
人生は良いことだけではない。
もしかしたら、つらいことや苦しいことのほうが多いのかもしれない。
10の出来事があれば、良いことは1つか2つ。
そこを重視できないと、人生はつらいものになる。
幸せは自分次第。というけれど、
どう生きるか?以前に、
どう考えられるか?が
幸せになれるか(幸せを感じられるか)
不幸になるか(つらいと感じてしまうか)の分かれ道だろう。
私の親友や信用している方々は、私が元気で順調に過ごしているときは、結構私を放置する(笑)
それほど頻繁には連絡してこない。
もちろん、ことあるごとに気にかけていてはくれているようだ。
だが、私が苦しいとき、つらいとき、困難な局面を向かえたときの、親友や信用している方々の動きはすさまじい。
仕事を調整して駆けつけてくれたり、こまめに連絡をくれたり(ふだんの50倍くらいの連絡頻度!?)、忙しいなかで支えてくれる恩人たちだ。
私はこの方々の深い愛情の中で生きている。
これって、すごく幸せなことだ。
起きてしまったことは本当につらく、苦しくて、逃げられるものなら逃げ出したいけど、
この方々からの包み込んでくれる大きな愛情が私の前進する力になる。
苦しい時にここまで支えてくれる人とのご縁に恵まれていることは、私の大きな大きな幸せだ。
この恩人たちに何か起きたときは、私は全力で協力したいと思うことだろう。
さて、話がそれたが、
恋人や夫婦間において、これはさらに顕著な形となる。
夫婦で共通の趣味を持ちたいとか、そんなことは
私はそれほど大きな問題だとは思っていない。
もちろん、ふたりで一緒に出掛けたり、一緒に楽しむことができれば、なおいいが、
そんなことは重大な局面でたいして役に立たない。
男性と女性では脳の構造が違う。
考え方が違うのだ。
育った環境も違うし、日常の多くの時間を過ごすことになる職場環境も違うだろう。
年齢差もあるだろう。
「性格の不一致」で別れたというと聞こえは良い(?)が、
性格って一致しているほうが珍しくないだろうか??
私の実の子供である長男は、私が間違いなく出産した分身だが、性格はまったく異なる。
17年間一緒に生活してきたが、
性格どころか、考え方も感じ方も価値観も、趣味も得意不得意も、食べ物の好みも、物事を決める優先順位も、何もかも異なる。
でも、性格の不一致で親子関係を辞めたいと感じたことはない・・・
「性格の不一致」と聞くと、あまりにも誤魔化されている気がしてならないのは、私だけだろうか。
恋人や夫婦といったパートナーとの間に大きなトラブルがあり、終局を迎えることもあるだろう。
だが、そんなときでも、
本当にそのパートナーが自分にとって大切な存在だと、
ケンカやトラブルはとりあえず置いておき、
何とかパートナーに協力して救い出そう!という気持ちになれるものだ。
ケンカしてむかついているけど、ひどい仕打ちをされてショックだけど、
とりあえず、重大局面を向かえたいま、そんなこと言ってる場合じゃない!となるものだ。
それは、楽しい時間を共有したかどうかは関係ない。
楽しい時間を共有しても、壊れるふたりは壊れる。
普段はケンカや行き違いが多くても、肝心な時に結力する関係もある。
夫が何かの事情で仕事を失ったり、事業に失敗したり、大病を患ったりすると、
離婚となる夫婦が少なくない。
だが、普段はそれほどラブラブな関係ではないのに、
困難な局面を向かえると、途端にスイッチが入る妻もいる。
実際に、そういう夫婦を私は見てきた。
普通なら離婚してしまう困難な局面が何度かあったのに、その妻は、その度に、途端に夫を最大の力で救い出す妻へと変わっていった。
穏便ではない表現になるが、
私は、心を決めたパートナーのためなら、刺される覚悟さえある。
長男が一人前になるまで、命を落とすほどの事態は避けたいが、そういう覚悟がある。
前出の夫婦も同じことを言うのではないだろうか。
並大抵な覚悟や生き様では、(自分にとって)最高級のパートナーと荒波高い人生を共にできない。
多種多様な価値観がある現代、おそらくこういう覚悟って稀だろう。
それは、現代の離婚件数にも直結している。
良いときを共有し、耐えがたい苦難のときを向かえたら、別れる。
こういう、柔軟な生きかたのほうが、楽だし、本当は幸せなのかな?