婚活についてエッセーを執筆しました②
群馬県桐生市に拠点を構える、桐生タイムス社発行「タウンわたらせ」にて日々つれづれエッセーを掲載。
その一部を紹介。
前書き(エッセーには非掲載)
なんとか各号締切日に原稿提出が間に合っている。
だが、新聞社のチェックは甘くない。
提出するたびに何らかの訂正指示が入る。
結婚相談所のアピールになってもいけないし、中立な立場で書かなければいけない。
新聞表記の制約もあるし、絵文字も使えない。
とはいえ、活字のプロに原稿チェックしていただける機会は貴重だ。
今度はどんなチェックが入るのか楽しみになってきた。
日々つれづれエッセー
発行:桐生タイムス社「TOWNわたらせ」第919号より~
第1号エッセイにて「婚活は、まずは自分を見つめ直すこと(自己分析)から始まる」と触れた。婚活に向けた自己分析とは何か?
私個人は、必ずしも結婚だけが幸せを決めるものではないと思う。 結婚せずに輝かしいキャリアを積むも良し、秀でた特技に専念するも良し、ひとり自由を謳歌(おうか)するも良し。置かれた環境・事情・価値観から、結婚を望まない方もいる。
昔の日本は、一定年齢になったら結婚することが当然とされていた。親や周囲から、特定少数の相手を紹介され、周囲がどんどん話を進める形で結婚に至った時代が長らく続いた。当時は、結婚していないことが奇特なこととされた。
いまは違う。女性が社会進出するにつれ、多種多様な生きかたが認められるようになった。結婚しない選択も、結婚しない自由もある。
反比例し、周囲から結婚のお世話をあれこれ手出し口出しされる風潮が消えた。
すると、困った問題が起きた。昔であれば、一定年齢を迎えると、本人が何もしなくとも、周囲が勝手に結婚のお世話をしてくれたが、いまは、本人が何も動きをとらないと、勝手に結婚話が進むということは、まずない。結婚を望む本人が、結婚を目指し活動することが必要だ。これが結婚活動(略して婚活)だ。
結婚しなくても良い時代だが、結婚を望む人は多い。 独身主義だったが、結婚願望が出てきたとか。心の奥底では結婚願望があるが、諦めているだけだとか。
たとえば、40代までは、20代の頃と変わらない気持ちで、親も元気、仕事も楽しいと独身生活を謳歌していたが、50代に入り、自信の体力の衰えや親の健康不安などで、結婚願望が芽生える人は珍しくない。
親とも友とも子とも存在の異なる、人生を共に歩める伴侶がいるのは、幸せなことだ。生きる希望やがんばる源、心の安寧となる。
私事だが、主婦業が嫌いだ。私は、主婦業に採算性をどうも感じられないから。そんな私は、二度と結婚しないほうがいいと思っていた時期もある。
だが、そんな特異な感性をもつ私を許容できる夫と出会った。それからの私は、仕事を落ち着いて取り組め、人生を安心で楽しいものと感じられるようになった。
結婚しなくていい時代だが、結婚っていいものだ。