40代前半 / 女性
活動期間:6ヶ月
婚約破棄から11年。41歳でつかんだ幸せ✨
41歳、20代最後の年に婚約破棄を経験した彼女が「やっぱり結婚したい」と再び一歩を踏み出しました。14人との出会いの先に待っていた、半年間の成婚物語です。
プロフィール
活動期間:6ヶ月
Nさん
年代:40代前半
職業:医療事務
お相手
年代:50代前半
職業:不動産営業
最終更新日:2026/09/06
「もう結婚は無理かも」でも本当は諦めたくなかった。41歳で、もう一度真剣に婚活しました。
お話をしているうちに、「この人となら、今度こそ自分の人生を変えられるかもしれない」と感じました。これも何かのご縁、運命かもしれない。そう思って、「これを最後の婚活にしよう」と決意しました。
平山さんに「婚活って趣味みたいにずーっと続けるものじゃないよね」って言われた時に、なんだかやけに恥ずかしくて、「今がきちんとする時なんだ」って思って、入会を決意しました。
こんなにも「母」が自分にとって重いものだとは思ってなかった。
「この人のこと、母はどう思うだろう」
「こんな人を選んだら、また何か言われる」
「前みたいに婚約破棄になったら、母に何を言われるんだろう」
気づけば、目の前の男性ではなく、母の反応を想像して婚活をしていました。
条件を見て、少しでも気になるところがあると「やめたほうがいい」と思う。なのに、本当は自分がどうしたいのかは分からない。
そんな自分が嫌で、苦しくて、そのイライラを平山さんにぶつけてしまいました。嫌味を言ったり、わざと突っかかるような言い方をしたこともあります。
ある日、そんな私に平山さんが、
「もう、私がお母さんを呪っておくね」
と言いました。
思わず笑ってしまったけれど、そのあと、涙が出そうになりました。
私、母を恨んでいたんだ。
母に傷つけられたのに、「母のせいにしてはいけない」と思っていた自分に、ずっと苦しんでいたと気付きました。
そして平山さんは、
「真剣交際になっても、嫌になったら辞めていい。その時はまた一緒に婚活の戦場に躍り出よう」
と言ってくれました。
その言葉を聞いて、「あ、逃げてもいいんだ」と気が楽になりました。
母には、どうしても彼と直接顔を合わせてほしかった。そして彼には、私が生まれ育った鳥取がどんな場所なのか、その土地の空気を肌で感じてほしかった。
そして私が、どんな思いを抱えてその故郷を離れたのかを、汲み取ってほしかった。
私のうまく説明できない色々な感情が入り混じった故郷への思いを、彼は受け止めてくれました。
その姿を見て、この人なら、私の過去も、家族も、私が大切にしてきたものも、一緒に受け止めてくれる。
そう思えたからこそ、今度は私も、彼の大切な故郷である千葉で暮らしても良いと思えました。
50歳の男性で、ここまで身だしなみに気を遣うのは、簡単なことではないと思います。髪型や服装もきちんとしていて、「今日、私に会うために準備してきてくれたんだな」と感じられたことが嬉しかったです。
もちろん、10歳の年齢差があるので、若い頃のようなドキドキする恋愛とは少し違います。
でも、一緒にいると不思議と気持ちが穏やかになる。無理に自分をよく見せなくてもいいし、変に頑張らなくても自然体でいられる。
強いときめきよりも、この人といると落ち着く。
そんな感覚が、少しずつ「この人と人生を歩んでみたい」という気持ちに変わっていきました。
だから彼に、「一度、私の故郷に来て母に会ってほしい。私の母がどんな人なのか、直接会って感じてほしい。そして、私がどんな場所で育ったのかも知ってほしい」と伝えました。
正直、重いと思います。41歳にもなって、母にこだわっているのは自分でも恥ずかしいです。ここで引かれたら、きっと私はまた「やっぱり結婚なんて無理」と思ってしまう。
そんな不安もありました。
でも彼は、迷うことなく「いいよ」と言ってくれました。
すぐに日取りを決めて、千葉から鳥取まで来て、私の母に会ってくれました。
その姿を見て、「この人なら大丈夫かもしれない」と思いました。
私にとって一番難しい母との関係に、逃げずに向き合ってくれた彼。
この人となら、これから先の人生で起こることも一緒に乗り越えていけるかもしれない。
そう思えたとき、初めて「私、この人と結婚できる」と思いました。
だからプロポーズも、彼が勝手に全部決めて驚かせるのではなく、「どこがいい?」「いつにする?」と、最初から私と相談しながら決めてくれました。
普通なら、サプライズを演出したいと思うのかもしれません。
でも彼は、無理にかっこつけようとはせず、「私が嬉しいこと」を一番に考えてくれました。その不器用な優しさが、なんだかすごく嬉しくて。
派手な演出よりも、私の気持ちを大切にしてくれる彼の姿に、きゅんとしました。
東京で暮らせないなら結婚したくないとまで思っていました。
でも彼の居住地は千葉なので、涙を呑んで東京寄りの千葉に新居を構えました。
お題とは少し離れてしまうけれど、自分の中に東京を譲れてしまう気持ちがあったことに驚きました笑
自分でも「彼と出会って変わったな」と思っています。
スターバックスなどのチェーン店よりも、コーヒーにも雰囲気にも個性があって好きです。
あとは、東京は図書館が良いです。
一つ一つの図書館にも特徴があって、中にカフェがあるものもあり、本のある空間そのものがアートを感じさせてくれます。
・・・千葉に行っても根性で東京のカフェに通います!
29歳の時、母に反対されて婚約破棄をした経験があります。
「あなたのせいで、娘は一生独身なんだよ」
心のどこかで、そんなふうに母に思い知らせてやりたい気持ちもありました。
平山さんと始めた婚活は、意外にもすごく楽しかったです。思っていたよりもお見合いも組める。仮交際にも進める。順調でした。
なのに、うまくいけばいくほど、「なんで今さらうまくいくの?」「もう私若くないよ?」という悔しさや、やりきれない気持ちが込み上げてきました。
今これだけうまくいくなら、10年前に結婚できていたらどれだけ幸せになれていただろう。
そんな、考えてもしょうがないことも考えてしまって。
うまくいってるのに悔しい、そんな感情があるなんて思いませんでした。
自分でもどうしていいかわからなくなって、その感情を平山さんにぶつけていました。
鳥取と東京。こんなに距離があるのにまだとらわれているのが恥ずかしい。世間では中年と言われる年齢なのにまだこだわってるの、うまくあしらえばいいのに。そんな風に自分を笑う自分もいました。
そんな私に平山さんが、「お母さんとの距離って、難しいよね。世間では毒親と決別してスカッと、みたいな物語もあるけど、現実はそんなに単純じゃない。自分の人生に邪魔だからって、簡単に切り捨てられるものでもないよね。だって親なんだし。全部終わらせてからでないと次の人生を始めちゃいけない、ってわけでもないんだよ」と言ってくれました。
その言葉に、すごく救われました。
母を捨てなきゃいけないわけでも、許さなきゃいけないわけでもない。
好きな気持ちも、恨んでいる気持ちも、両方あっていい。
今は答えが出なくても、母との関係を抱えたままでも、自分の人生を選んでいいんだと思えるようになりました。
「もう遅い」と結婚を諦めた41歳の私。それでも人生には、思いがけない“続き”が待っていました。
29歳で婚約を破棄してから、母とのことも、自分の選択も、ずっと心に引っかかっていました。
「仕事はできてるし、たぶんこのまま東京で生活できる」
「趣味も推し活もあるし」
「すごく良くはないけど、悪くもない」
そんなふうに、自分で自分の人生に納得しようとしていました。
私は決して不幸ではありませんでした。
でも私にも、誰かと出会って、悩んで、それでも「この人と生きていきたい」と思える未来が待っていました。
婚活は、若い人だけのものじゃないと思います。
後悔しないように今からちゃんとやろう。そう思って頑張ったら、私にもちゃんと続きがありました。あなたにも、きっとあります。